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豊臣秀長
本文表記 秀長・大和大納言秀長
薩摩勢根白の砦を攻むる事 卷之八 · 8
- p01…天正十五年二月秀吉島津を討たるゝ時、大和大納言秀長、近江中納言秀次八萬餘、島津が豐後府內より薩摩へ引退く後を追…
- p01…。宮部を始め愈死地に入りたれば、爰を限と防ぎ戰ふ。斯りしかば秀長三萬許にて耳川に打向ひ、根白の方を見渡せば、薩摩の軍兵雲の如…
- p01…地も動く許なり。川を渡らんと進まれけるに、尾藤左衞門尉知宣、秀長の馬の轡を取つて、義弘が鋒武田四郞が長篠の掛り口に似たり。關…
- p01…引分け進み行く道より、村上彥右衞門と云ふ剛の者を遣して、唯今秀長六萬の兵にて後卷せられ候、と呼はらせければ、宮部を始め大に勇…
- p01…勇み悅べり。長政の士栗山後藤川を涉り、義弘の陣に切つて懸る。秀長の士大將羽根田長門守と千許の兵にて、黑田父子に劣らじと鎗を打…
- p01…劣らじと鎗を打入れ攻戰ふ。小早川隆景も三千許にて耳川に來る。秀長、今敵陣に懸る可きと存ずれども人々同心せられず。如何すべき、…
- p01…來るに出迎はずば弓箭の禮儀に違ふべし。軍評定と申す事や候、と秀長を嘲りけれども、進む氣色の無りければ、降景馬を打入れて川を渡…
- p01…れば、義弘の從子三郞忠親踏み止りて討死しけり。黑田小早川使を秀長の陣へ遣して、味方は八萬に餘れり。鐵炮三千許左右の嶺を取り切…
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