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冒頭、神代から源平両氏の起こりまで編集見出し

1 · 510字 ·部の始め

それ迷の前の是非は、是ともに非なり。夢之內の有無者、有無共無也。我等身の識あれば、有かはあだなり。夢の浮世と何を寤と可㆑定。されば刹那の榮華も心をのぶることわりを思へば、無爲の快樂に同。爰に相國家康之御由來を申立るに、其日本安藝津島は、是國常立の尊より起り埿瓊沙瓊男神女神を初として、伊弉諾伊弉册の尊、以上天神七代にてわたらせ給ふ。又天照御神より、鵜之羽ふきあはせずのみこと迄、以上地神五代にて、おほくの星霜を送り給ふ。然るに神武天王と申奉るは、ふきあはせず之第四のみことにて、一天之主百王にも初として天下を排給ひしより此方、國土をかたぶけ、萬民の恐斗事、文武之二道にしくはなし。好文の族を寵愛しられずとは、誰か萬機の政を扶、又勇敢之輩を寵賞せられずんば、いかでか慈悲之亂鎭めん。故唐大宗文皇帝は、疵を畷1い戰士を賞じ、漢之高祖は三尺之劍をたいし諸侯をせいし給ひき。然間本朝にも中頃寄源平兩氏を定おかれし寄此方、武畧を振舞朝家を守護し、互に名將之名をあらはすによつて、諸國の狼藉をしづめ、旣に四百餘廻之年月を送り畢。是淸和の後胤、桓武のるたひなり。しかりとは云共、王氏を出而人臣につらなりて、矢鏃を嚙み、戣先を著心指取々成。
  1. 誤植 — 底本「畷」。「啜」の誤植か(底本の振り仮名「す」、傷を吸う意)。