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松平親氏の入婿と家臣の忠誠編集見出し

5 · 1,285字 ·編集段落

然る處に松平之鄕中に、太郞左衞門申而、國中一之有德成人ありけるが、いか成御緣にか有やらん、太郞左衞門獨姬之有りけるを、德阿彌殿を婿に取、遺跡に立まゐらする。然る處に坂井之御子、後に御尋をはしまして御對面有時、尤御疑無㆑更に、然りとは云ども人の一つせきを嗣ぐ故は、總領とは云がたし。家之子にせんと仰あつて、末の世迄おとなとならせ給ふ由、しかとの事はなけれ共申つたへに有り。偖又後には太郞左衞門親氏、御法名は卽德阿彌、何に況哉、弓矢を取而無㆓其計㆒、早山中拾七名を戮取せ給ふ。殊更御慈悲においては幷無㆑人、民百姓乞食非人どもに至迄哀みをくはへさせ給ひ而、有時は鎌、くわ、銲、鉞などをもたせ給ひ而出させ給ひ、山中之事なれば道細くし石高し。木の枝之道ゑさしいで荷物に掛をばきり捨、木根之出たるをばほり捨、せばき道をばひろげ、出たる石をば掘捨、橋を懸道を作り人馬の安穩にと、晝夜御油斷無御慈悲をあそばし給ふ。御內之衆に被仰けるは、我が先祖十時斗先に、高氏に居所をはらわれて、此方彼方と流浪して遂に本望をとぐる無㆑事。我又此國得まよひき而、今又すこし頭をもちあぐる事佛神三寶も御哀みも有か。我一命を跡拾代にさゝげ、此あたりをすこしづつも戮取而子供に渡す物被㆑成ば、代々に戮取々々する物ならば、先拾代之內にはかならず天下を治め、高氏先祖を絕やして本望を遂ぐるべきと被仰ければ、御內之衆一同に申上けるは、御先祖は只今社承候へ。其儀は兎も角も其儀にかまい不申、年月當君之御情雨山忘難存候儀を各々寄合申而も、別之儀を語不申、扨も〱御慈悲と申、又は御情此御恩の何として報じ可㆑上哉、只二つと無命を奉り、妻子けんぞくを𦖁ず中夜の摝にて、御恩をほうぜんと申成、親氏聞被㆑召而面々被申候事憐入而候。我面々に何をもつて慈悲供をぼゑず、又何をもつて情供おぼえざる。又何をもつ而面々に思ひつかれんともおぼえざるに、面々の左樣に申さるゝは、分別に不㆑及ふしんに社あれと仰せければ、面々申上候。先御慈悲と申事は御存知なきや、あれに伺候申、五三人之面々は重罪の御咎を申上申者成を、妻子ともに火水の責に而責戮させられではかなはざる者を、妻子眷族ゆるしおかるゝのみならず、其身が一命迄御ゆるされ賸何ものごとく、御前得召被㆑出召つかわさるゝ御事は、是にすぎたる御慈悲何かは御座候はん哉。あの者ども一類女房供の一類の者供迄も、人寄先に一命をすてゝ御奉公申上候はんと存知定申たり。ましてあの者供は妻子の一命を被下御恩者末世、此御恩ほうじ上申候事此世に而成難。此御恩には燃㷄之中得も御奉公被㆑成ば飛入らんと、一心に思ひ定而罷有と申成。それのみならず、面々も心に入而摝申事、御祝着に思召るゝ凛か腆か晝夜供に骨折御身にあまり而思召るゝに、近參而膝を直し罷有との御情は、雨山御忝身に餘り存知候と申上候へば、御ことばも不㆑被㆑出御涕をおさへさせ給へば、面々愈涕をながし御前を罷立、申つるごとく雨露雪霜にもいとはず、夜はかせぎ、かまり、ひるは此方彼方のはたらき晝夜身を1拾而御ほうかう申上申に付而、あたりをきりとらせ給うて、御太郞左衞門尉秦2親え御代を御讓り給ふ。
  1. 誤植 — 底本「拾」。「捨」の誤植か(底本の振り仮名「すてゝ」、国立国会図書館の別スキャン(925907)は「捨」)。
  2. 誤植 — 底本「秦親」(振り仮名「やすちか」)。次行以下の「泰親」の誤植か。