其後に淸康の仰には未出仕をせざる一門、又は國侍ども之方ゑ仰つかはされける者、信忠隱居有而我に代を讓せ給ふに付、纔五百三百之普代之者計にて、あたりまはりを切付而、大方一門も出仕をする、其外之者ども出仕をすれども、其方など者一圓に構も無、有事者不㆓心得㆒早々出仕をせよ。然ども存分も有而出仕をすまじきにをいては、存分次第此返事に寄而押懸而存分によつてふみつぶすべしと仰つかわしけれ者、信忠に偭奉り其故身を引に、今御出仕遲なはり奉る成。右の御意趣を打被㆑拾1御徐可被下候ゑ。淸康ゑ何と而違背可㆓申上㆒哉。今日罷越出仕可㆑仕と申而、出仕之方も有、又は信忠に偭申候條、只今も淸康へ出仕之事、思ひも不㆑寄と申處ゑ者、押寄給ひ而ふみつぶさせ給ひ而、手あらく被㆑成候得者、殘所の衆者手を合降人となれば、御慈悲に而寬せ給ふ。御拾三にして御代を請取せ給ひし寄、御內之衆に哀見御情申つくしがたし、其に寄而一入怕懼れけり。御武邊武渡せ給ふ故、一しほ御慈悲を被成、御哀み御情を懸させ給ひ而、人一人にもふそくを持せ給ず、御面目をうしなわせ給ず。況や追い拂い御成敗と申事も無人を惜せ給ひけり。是と申も御代々久敷者なれば、いたづらに人をうしなはん寄、我馬之先に而打死をさせ、御用に立させられんと思召入たり。拾三拾四にして纔少之安祥之小城を請取せ給ひ、纔五百三百之人數に而御年にもたらせ給で、早西三河を切取せ給ふ。是と申も第一御武邊武故成。第二には君を大切に思ひ奉る、御普代を持せ給ふ故成。何に能御普代を持せ給ふとも君之心二にして、御慈悲も無、御情も無、御哀みも無者成難。又は君之御心武渡せ給ふとも、御普代衆君を一心に御たいせつと思ひ入不㆑申して摝事鈍く候はゞ、何に思召とも成難。淸康と申者御武邊第一、樊噲張良をもあざむき、御慈悲、御情、御哀みふかうして、御內衆も御代々久敷御普代と申、思ひ付申而君には妻子を歸見ず、一命を捨而㷄水の中ゑも飛入、是非ともに御用に立而御馬之先に而打死をすべし。たとゑ拾萬廿萬有と云とも、五百三百之者ども君を中に取つゝみまん中ゑ戮而入、四方八面切而𢌞らば、何かはためん哉。
- 誤植拾 — 底本「拾」。「捨」の誤植か。