然處に三月日堀河に一揆の起き申候由吿來りければ、其儘取あ得させ給はず、懸付給而催もなく偣程に、頓而へいに付而乘る。然間大久保甚十郞十七歲に而一番に乘りける處を、內寄鐵砲に而左のべにさきを打れて打死をする。平井甚五郞も打死をする。其外數多打死有。堀河は汐の指たる時は舟に而寄外行べきかたも無。しほひ之時も一方口なれども値無㆑事璅程に、即男女ともになで切にぞしたりける。右之大久保甚十郞は、右に一揆之起申たる折節に通り合ければ、悉歷々の衆立も一同す。駭騷衆も有ければ、甚十郞は御膝元近召つかはれ申、御意の能ば一々に申上げけり。誰々は憔酷、跡先得迯ちり山得も迯入而御座候。誰々は不㆑亂して神妙に御座候つる由を申上ければ、せがれなれども神妙に能見たと御意被成御感成。然間見付之國を御住所に被成、城を取、原に各々屋敷取をしてすませ給ひけるが、爰は不㆑可㆑然とて濱松得引かせられ給ひ而、御城を拵へ給ひ御住所を定させ給ふ。