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新府の対陣と真田の帰属編集見出し

35 · 588字 ·編集段落

然る處に家康は古府中に御座被成候つるが、明之日は早新府中へうつらせ給ひけり。然とは申せ共、家康之うつらせ給へ共、御人數は八千寄外は無之と申せ共、日夜之戰にも、四萬三千之敵に一度もつらは、出させ給はず。然ば氏直仰けるは、是寄古府中を押而郡內へ入而、引取らんと仰ける由を家康聞召而、其儀ならばむかいの原に取出を取而、氏なほ押而とおらば取出へ人數をうつして、合戰を可被成とて若見こにも、むかいの原新府にもむかい之原に取出を被成けり。其日かきあげ斗成されて、夕さりは松平上野者と、大久保七郞右衞門者を指越而、大事之番にてある間、ゆだん仕なと仰被越ければ、松平上野殿寄は松平孫三郞を指越給ふ。七郞右衞門方よりは、大久保平助を指遣しける。次之日は御普請をも丈夫に被成而、其寄は諸手よりも一日一夜がわりに番をしたり。然間大久保七郞右衞門方より、あした方へ申越而、何とぞ才覺をめぐらして、眞田を引付給へと申越候へばあしたがさいかくしたり。然共家康御前之さいかくをよく被成而、さなだ安房守方へ具に被仰越候へと、あした方より申越に付而、御はんぎやうを取、七郞右衞門方よりもくわしき事杉浦久藏に申きかせて、久藏をしのび而、遣しければ、安房守は卽御手に入ければ、あしたの小屋へもひやうらう米をいれけり。此比は小屋も兵粮米につまり而、牛馬を喰い而命をつぎける處に、さなだにつゞけられ而、命ながらへたり。