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切腹を覚悟した彦左衛門の出仕編集見出し

66 · 536字 ·編集段落

御ことばを返し申故に、世間にては我等に腹を切せ可被成由を申と承候へば、其儀ならば我等唐高麗へ落行而、石のからうとに入たればとてものがるゝ事は有間じく、其儀ならば御前へ只今罷出て腹を切迄とて上下をきて出る處へ、小栗又一郞が來りてやどに有かと云。何として被出けるぞや。其儀成、御前へ出給へ。出はぐれたらば出る事成がたし。腹を御きらせあるならば切給へ。年寄衆して御意を得被申候事は御無用成。其に付て何かと被仰候はゞ後六ヶ敷可有、定業はさだまりたり、あしきことをして死したるにはましなり。御主の御ためを申而其があしき事に成ならば是非もなき事成、只今可被出同道可申とて、來りたると申ければ、よくこそ御出有たれ。只今我一人罷出て腹を切せ被成候はゞ可切と存て支度申たり。我腹を切ならば介錯には何時も御身寄外に賴可入人なければ、さいわいの所へ被出候者かな。腹を仰被付ば御かいしやくを賴入事、目出度も御出かな。いざや御ともせんとて二條の御城へ參りければ、彥左衞門が來りたると申而、各々興醒貌にて有ける所へ、上樣御出被成而御覽ぜられて通らせ給へば、又一郞も心安とて同道して歸りける。然間からかい申たるよりも、被出間敷所を出たりと人々も申なり。然間卯の年は兩上樣ながら江戶駿河へ御歸國被成けり。