偖又我子共物を聞け。親氏の御代に三河國松平之鄕へ御座被成てより此方、親氏、泰親、信光、親忠、長親、信忠、淸康、廣忠、家康、此御代々野にふし山を家としてかせぎ、かまりをして度々の合戰に親を打死させ子を討せ、伯父、甥、從弟、はとこを打死させて、御ほうこうを申上、それのみならず女子けんぞく共に麥の粥粟稗の粥をくわせ、其身もそれをくいて出ては打死をして御ほうこう申上たる、其すへ〲子共供が、只今は御前へ可罷出ちからもなければ、ゆくゑもなき人の普代と成、一季奉公をして世をめぐるも有り、御はしりばうかうをするも有り、荷擔商をして鰯田作をうりて世をおくるも有、又は御前御ほうかうを申せ共、百俵、百五十俵、貳百俵、三百俵被下候へば、御前の御ほうかうを申せば、髮をゆひ申若とうの一人も二人もつれではかなわず、御城ありきにもならざるとて徒跣にてもならざれば、小者の五人三人持でもならず。百二百三百俵被下候物は年中の上下一衣又は若とう小者の扶持給にもたらず候へば、內儀は昔親祖父のすぎあひのごとくなる、稗粥のていなり。各々御普代のすへ〲のくらし申なり。それのみならず其身が咎とは申ながらにて候へば、さら〱御怨みにはあらねども、御勘氣をかうむり奉りてこゝかしこ徘徊し、餓死に及も有り。然間人を召つかう事番匠の木をつかうが如し。長木をばうつばりにし、短きをばひじきつかばしらにす。如此人の器用分限に隨いて心もちをしてあてがいつかふ。されば人をあまさずしてすべき事共なり。又年比召つかうともちいさき咎あらんには捨べきなり。或文に曰く、君子はよき事一つしたるをば百のとがあれども人をすてず、下郞はよき事百度したれども、とがを一度しつれば恨みつるなり。人をかへりみるには我ごとくある物はすべてなき物なり。是則主となる時は、人をもどかわしく思ひ、臣と成時は人にもどかるゝ習いなり。惣別三河の者は明暮弓矢をかせぎければ、公儀の道は何れもしらざる。然と申せどもかうぎのよき物何に可被成、日本の諸侍はこと〲く御內の者にて候へば、誰をあがらめてせうくわん被成てかうぎのよき物を御用に思召や、餘りかうぎのよき物に昔も武邊をかせぎたる物なし。