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一揆と上和田の大久保一族編集見出し

76 · 536字 ·編集段落

又有時は御普代衆こと〲く一揆を起して御敵に成て、野寺、佐々木、土ろ、はりざきに立こもりて、相國樣へ錆矢をいかけ申時も、我等をぢの大久保新八郞屋敷城をもちて、わづか敵の城へ七八町十町斗へだてゝ、日夜たゝかいける。其時はこと〲く御敵を申せば、一國一城のやうなれども、大久保一流共が御味方申たる故に御運の開かせ給ふ。其時土ろはりざきを打あけて、大久保共の有ける上和田へよせかくる。其時正月十一日に大久保五郞右衞門も同七郞右衞門も一度に目をいられける。こと〲く手をおはざるはなし。其時上樣人一ばんにかけつけさせ給ひて旣のりいれんと被成ける處に、大久保次右衞門がはしり付奉りて御馬のくちを取、御跡を御らんぜよ、たれもつづき不申とてとゞめ奉り申時、汝共が恩をば七代御わすれ被成間じきと被仰し御事も有。おとゝい共しんるい、いとこ、はとこ供のかせぎ申儀は申つくしがたし。我等をぢも打死をする、いとこ供もおほく打死をして御ほうかう申、又は我等が兄も三人打死をして御ほうかうに申上、又は彼等も十六の年より境目に十二年罷有りて御ほうかう申上、其內四五年もまくらもとにぐそくをおきて、中夜野に伏山に伏、芝のは萱のはをおりしきて、かせぎかまりにくろうをする。然ども不器用にも候哉、つひに武邊のせず、