次郞三郞長親、後々は藏人頭長親御法名道悅、何れも御代々御慈悲御武邊、殊更すぐれさせ給ふ事、何れをわくべきにはあらねども、御命をしらせられざる御事其たぐひなし。爰に伊豆之早雲新九郞たりし時に、駿河之國今河殿へ名代として、駿河、遠江、東三河、三ヶ國之皉を促して、一萬餘にて、西三河へ出る。新九郞は吉田に着、先手は下地之御位小坂井に陣を取、明ければ御油、赤坂、長⿰阝志、山中、藤河を打過而庄田に本陣を取ば、先手は大平河を前にあて、岡大平に陣を取。明けれ者、大平河を打越念し原ゑ押上、岡崎之城をば、にれんぎ、𤚩久保、伊名、西之郡衆を、押に置鍪山を押而とをり、伊田之鄕を行過而大樹寺に本陣を取ば諸勢は岩津之城へ押寄、四方鐵砲はなちかけ、天地をひゞかせときのこゑをあげ而、をめきさけぶとは申せども、岩津殿と申は弓矢を取而無㆓其隱㆒御方なれば、少も御動轉なく譟がせ給はず。其故度々の高名、名をあらはしたる者供をもたせ給ゑば、彼が出而中々敵をあたりゑ寄付事思ひ不㆑寄はたらきければ、新九郞を初諸勢供も、もてあつかいたふぜい成、然る處に長親者、侍供を召寄面面聞かとよ。北條新九郞岩津へ押寄、天地をひゞかせたゝかうと見。其弓矢を取者の習には、敵不勢味方は多勢成供すまじき陣も有。何況哉、敵者多勢味方は不勢成供、せでかなはざる陣も有、此度之儀者敵多勢成供せずしてかなはざる陣成。我娑婆之露命今日が限ぞ面々者何と思ふぞ。各々一同に申上候。如仰何に敵不勢成と申とも、すまじき陣を被成んと被仰候はゞ、兎角に面々供が晉み申間敷、何敵多勢成と申供、被成候はでかなはざる陣においては兎角被成候ゑと可申上。況哉此度之御合戰被成候はで、かなはざる陣成。時刻うつさせ給ひては譡間敷、日比之御情殊更御普代之御主之御一大事と申、是非供に妻子を不㆓歸見㆒、御馬之先に而戮死に仕て、死出三津之御供社弓矢を取而の而1目にて候ゑと申上ければ、長親御淚を流させ給ひて、我少身なれば普代久敷者と云どもかいがはしきあてがいもゑせざるに、普代之主之用に立妻子を不㆓歸見㆒、無㆑恩主に一命をくれんと勇事は有難さよ。一萬餘有所へ雜兵五百之內外にて陣をせん事は、蟷螂が鉞をにぎるがごとし。更ば今生之暇乞に酒出せと仰有り而、廣物に酒を入而出るを、御筩に一つ請させ給ひ、面々に盃を指度は思ゑども、時刻之のぶる間盃と思ゑとて廣き物の酒ゑ御盃之酒を入させ給ゑば、思ひ〱に是をいたゞき、御前を罷立倂けり。
- 오식而目 — 「面目」의 오식으로 보인다(저본 후리가나 「めんぼく」).