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나이젠의 오카자키 횡령과 히로타다의 유랑편집 표제

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然るに寄千千代樣御元服被成。次郞三郞廣忠御法名道𠏉御代々之御つたはりの御慈悲、御情、御哀見、殊に勝而御。各々悅處に、內前殿者眼前の大伯父なれども、橫領して廣忠を立出し給ふ。其時御普代衆も色々心々成。御跡に殘て是非に一度者御本意をとげさせ申御代に立申さん、我等ども立退く物ならば、末世岡崎へ入らせられ給ふ事有間敷とて、御跡に思ひとゞまりて、御供せざる人多し。又何心も無而御供せざるも有、又內前殿も長親之御子なれば、何れも御主は一つ成とて、內前殿に思ひ付も有。人者兎もあれ角もあれ、をなじ長親之御子とは申せ供、內前殿者庶子信忠者御惣領、其故信忠、淸康、廣忠迄三代あをぎ奉しに、長親迄四代御跡へ歸りて、其故そしをおなじ事とは云難。廣忠の御座御座ば逆成儀成、某供者妻子けんぞくを歸見ず、一命を捨而是非とも一度者廣忠を岡崎へ入可㆑奉成。然る所に阿部之大藏申けるは、忰め社氣違にて、君をば打奉りて有、我等においては少も御無沙汰に不㆑及、是非供に御供申さんとて、十三にならせ給ふ廣忠の御供申て、伊勢之國へ落行給ふ。其耳非、六七人も御供申成。十四迄伊勢に御座被成候成。然る間に關東三河をば早駿河寄取、吉良殿者小田之彈正之忠と御一身有。然間駿河寄吉良へ押懸ければ、荒河殿は屋方に別心をして、駿河と一身して荒河を持處に、屋方はかけ出させ給ひ、敵に打向はせ給ゑば、屋かたの御馬强き馬に而、敵之中ゑ引入られて、卽打死を被成けり。其寄吉良殿御子達は駿河へ付せ給ふ。さあ有程に大藏、廣忠を駿河へ御供申而、今河殿を賴入申。今河殿御無沙汰有間敷由被㆑仰けり。廣忠十五之春駿河ゑ御下給ひ而、其年之秋駿河寄加勢をくはゑて、もろの城ゑうつし申。