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오쿠보 일족의 위기와 잇키 세력 추격편집 표제

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然間上和田寄大久保一類どもが伊內之鄕得さがりて、鍼崎之寺內之きはに而きび敷せり合けり。其時大久保七郞右衞門と本田三彌相ためにしたるに、七郞右衞門早くはなし候而、三彌を打たふす。然ども其手に而は死ず。かゝりける所に一揆方之申けるは、爰元をきび敷あひしらひ而、槉之鄕中をとをり、妙國寺得出て取きる物ならば、上和田得入事成間敷、然時んば賓をつよくさせ而、跡寄切而懸ならば、土井を指而のくべし。さもあらば土井之間の水田得追入而可㆑打と申を、半之丞者大久保淨玄婚なれば、有は小姑、有は伯父姑、從弟姑なれば泚を捖。然と云而も各々を打せ而見る所にもあらずと思ひ而、皆々出て取剿と云。槉之鄕中之原得出て馬を乘ありきければ、妙國寺前を取剿と見えたり。半之丞が來り而懸まはる成。急爰を引のけよとてのきければ、案之ごとく敵打除而出けれども跡にて候得ば手をうしなひたるふぜい成。八屋が出て懸まはり而、しらせずば大久保一名は不㆑被㆑殘打れ可申間、愈一揆ははゞかり可㆑申けれども是も、上樣の御運の强き故成。然ば佐崎之寺內得取出を被㆑成ける所に、水野下野守殿鴈屋寄武具に而、佐崎之取出得見舞に御越有。然處に土口ゑ譽たる一揆衆、佐崎之取出之後詰として、作岡大平得働而燒立る。佐崎に而御覽じて下野殿得被㆑仰けるは、御貴殿は是寄御歸被成候得、我等は上和田を直に取切申而不㆑被㆑殘討取可㆑申と被㆑仰ければ、下野殿は只御無用と仰けれども、兎角に御歸り被成候得、我等は急申とて早御馬に召ければ、是を見捨而何と而返り可㆑申哉、其儀ならば御供申さんとて一度に懸給ふ。上樣之御ためには能御仕合成。敵之ためには不運成次第成。渡り河地を越させ給ひ而、大久保一類をば鍼崎之押にをかせられ給ひ而、大久保彌三郞計御案內者申而、盜人來をすぐに小豆坂得あがらせ給ひ而、馬頭之ふみわけ得出させ給得ば、作岡大平寄歸るとて、鼻合をして洞天す。石河新九郞は道を替而のき而は、たと得ば生而をもしろからず、又道をかゑ而山之中に而打れたらば、新九郞社端道をして打れたるなどと、人に沙汰せられん事は、骸之上之恥辱可㆑成とて、本道を直にのきければ、金之團扇の指物を指ける間、新九郞と見懸而、我も〱と追たり。水野藤十郞殿懸付而突きおとして打取給ふ。頓而佐馳甚五郞、大見藤六郞、是兄弟も一つ場にて打取、波切孫七郞そこを行過而、大谷坂ゑ上處を上樣懸付させられ而、二鑓迄つかせ給ふに懸のび而馬寄落ずして迯行。孫七郞を二鑓つきたるに迯而行たると被㆑仰ければ、波切孫七郞と申者、無㆑隱武邊之者又は氣ちがい者なれば、此御意を聞而我は上にはつかれず、別之者につかれたると申。上樣につかれ申と申ならばをぼえと申、又は其身のためにも能可㆑有に、眼前に上樣につかれ申而、上樣にはつかれ申さぬと申たるに仍、御憨被成而、其後終に子供之代迄御前へ召不㆑被㆑出。