然處に八屋半之丞、大久保次右衞門を喚出し而、御無事可㆑仕由申上候得と申けるに付而、大久保新八郞を同道して、次右衞門と兩人御前に參、此由を申上ければ、御喜被成而さらば急との御意なれば、八屋半之丞、石河源左衞門、石河半三郞、本田甚七郞、此外五三人申けるは、何と成とも御存分次第可㆑仕候。然ども何れもちがい申儀御赦免被㆑成可㆑被㆑下由、過分申つくしがたく奉㆑存候。其儀ならばとてもの儀に寺內を前々のごとく立をかせられ而可被下、次には此一揆のくはだての者の命を御捨免被㆑成而被㆑下候はゞ御過分に奉存候。然とは申とも各の存分は不存候へども、まづ申上候各に此事申ならば、定而異儀に及衆もあまたの中なれば不㆑存候。一人成とも何かと申者も候はゞ、又其に付て一味する者も御座候はゞ、此御ぶじ罷成難し。其時は我々供之斯斗存知候而も及間敷候得ば、御不沙汰は無して、御無沙汰に罷成候べき。其時は却而二罪之御咎人に可㆓思召㆒。然ば此事他言無して、此者供斗に而土ろ得引入可申間、各々の命右之くは立之者の命、寺內供に前々のごとく、御捨免之儀を申上給得と申に付而申上ければ、尤之儀汝供申如く面々が命、並に寺內前々のごとく、相違有間敷一揆企之者にをいては、兎角御成敗可被成との御意なれば、右の者供惶ながら又言上申、寺內幷に各々が命被下候儀、御過分申つくし難し。同はいたづら者の命をも被下候樣にと申而、御ぶじの儀が支ゑければ、大久保淨玄申上けるは、姪小供御手先得罷出申、日夜之戰無㆑隙仕、賸正月十一日には、土ろ鍼崎、野寺三ヶ所之一揆方一手に罷出、上和田へ働ける處に一類之者供罷出ふせぎ戰申に付而、其日せがれ之新八郞は眼を射られ、姪の新十郞も眼を射られ、其外之姪小供何れも手ををはざる者一人も無して、爰をせんどとしたる處得、上樣御自身早く懸付させられ候に付而、敵方御影を見付申に付而、我先にと迯のきけるに仍、一類供も利運仕。其時血池を滂したるをば、上樣御覽じ被成けり。其時之姪子之辛勞分と思召而、此一揆のくは立之者の命を被下候得、此一揆をさへ御無事に被成而候はゞ、彼等を先立給ふならば、上野に有坂井將監を頓て踏つぶさせられ給ふべき。何況哉吉良殿松平監物殿も荒河殿も其日に押つぶし給ふべき。何か之御無心も打被㆑捨給ひ而、何と成供面々が望次第に可被成候得而、先御ぶじにさせ給得、御手さへ廣くならせられ給はゞ、其時は何と被成候はんも御儘に罷可㆑成物を、只今は何かと被仰處にあらずと申上ければ、さらば淨玄次第に徐置、起請を可㆑書とて、上和田之淨衆院得御出被成而、御起請をあそばし而、右之者供に被㆑下ければ、是をいたゞき而、さらばとて石河日向守を土ろの寺內得、高須之口寄八丁得引入ければ、一揆方之各々慠騷供、早亂入ければ不㆑叶して、我も〱と手を合ければ、御寬有而方々得御先懸をす。