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나가시노 전후의 칭찬과 고묘·후타마타 함락편집 표제

19 · 822자 ·편집 단락

然間勝賴も、土屋平八郞、內藤修理、山方三郞兵衞、馬場美濃守、さなだ源太左衞門など云度々の合戰に合付而、其名を得たる衆が、入かへ〱おもてもふらず責たゝかいて黜事なき處に、此衆は雨のあしの如く成、てつぽうにあたりて、場もさらず打死をしければ、勝賴も是を御覽じて、是非もなき馬場美濃と、山方三郞兵衞が打死之うへは、合戰は見えたりと思召處に、其外こと〲くむねとの兵打死をしたりければ、則亂而はいぐんする。然共勝賴は無何事引のけさせ給ふ。是寄璅給ふならば、かい之國迄おさめさせ給ふべきに、奧平作州同九八郞を召出給ひ而、今度はひるいなき城をもち給ふ事、天下にかくれなき其おぼへ、ばくたい成と御かん其かへもなし。大久保七郞右衞門、同次右衞門兄弟之者共を召出給ひ而、さて〱今度之武者づかいひるいなし。汝共がかけ引ゆへ、陣にかちたり。汝共程成者を我はもたぬと被仰而、殊外御かん成。然間其寄引入給へば、家康も頓而今度之御禮と被成而、あづちへ御參府あり。其時御供之衆はしらずに伺候して有所へ、信長立出させ給ひ而、髯はこぬかと被仰ければ、其時ゑ原孫三郞が罷出ければ、信長之仰に、いや〱ながしのにてのひげが事と被仰ければ、七郞右衞門は御供にあらざれば、大久保次右衞門罷出ければ、其時さて汝が事にて有。さて〱ながしのにてのはしりまい、手がら云に不及、汝共程の者を我はもたぬ。今度は辛勞をしたると被仰而、御ふくを被下ければ、次右衞門は時の面目ほどこして罷立、家康其寄御歸被成而、同亥の年二俣へ押寄させ給ひて、びしやもんどう、戶ば山、みな原、わたが島に取出を被成給ふ。二俣を大久保七郞右衞門に被下候ゆへ、みな原之取出に有。然處に高明の城へ押寄させ給ふ。大手の二王どうぐちへ、本田平八、榊原小平太、其外押寄けり。御旗本は橫河ゑうつらせ給ひて、かがみ山へ押上させ給ひ、其寄城へ璅程に、城にはあさいなの又太郞が有けるが、かうさんをこひければ、命をたすけてやり給ふ。同年二俣も落城成。