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나가시노 전투와 오쿠보 형제의 활약편집 표제

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然間、大正1三年乙亥五月廿一日、信長、城之介殿親子兩旗、家康、信康親子兩旗にて、十萬餘にてあるみ原へ押出し、谷を前にあてゝ、ぢやうぶに柵を付而待ちかけ給ふ所に、勝賴は纔二萬餘にてたき河之一つ橋之絕所を越、賸橋を越てから一騎打の處を、一里半越て押寄而之合戰なり。然共十萬餘之衆は、柵の內を出でずして、あしがる計出し而たゝかひけるに、信長之手へは作ぎわ迄おい付而、其寄は引而入。家康之手は大久保七郞右衞門同次右衞門此兄弟之者を指つかわされければ、兄弟之者共は、敵味方之間に亂入而、敵かゝれば引、敵のけばかかり、おゝき人數を二人之ざいに付而、とつてままはしければ、信長是を御覽じて、家康之手まへにて、金の上羽の蝶のはと、あさぎのこくもちのさし物は、敵かと見れば味方、又味方かと見れば敵也。參而敵か味方か見て參れと仰ければ、家康へ參而、此由かくと申ければ、いや〱敵にはあらず、我等が普代久敷者、金之あげはのてふのはゝ、大久保七郞右衞門と申而こくもちが兄にて候。あさぎのこくもちは、大久保次右衞門と申而、てふのはが弟にて候と仰ければ、急立歸此由申ければ、信長聞召而さても家康はよき者をもたれたり。我はかれらほどの者をばもたぬぞ。此者共はよき膏藥にて有り。敵にべつたりと付而、はなれぬと仰けり。
  1. 오식 — 「天正」의 오식으로 보인다(할주 「乙亥」는 天正 3년).