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혼노지의 변과 이에야스의 이가 넘기편집 표제

31 · 921자 ·편집 단락

然處にあけち日向守は、信長之取立之者にて有けるが、丹波を給はりて有しが、にはかにぎやくしんをくわ立、丹波寄夜づめにして、本能寺へ押寄而、信長に御腹をさせ申。信長も出させ給ひ而、城之介がべつしんかと被仰ければ、森之お覽が申、あけちがべつしんと見へ申と申せば、さてはあけちめが心がわりかと被仰候處を、あけちがらうどうが參りて一鑓つき奉れば、其寄おくへ引入給ふ。お覽は突きて出而、ひるいなくはたらき而打死をして御供を申。早火をかけて信長はやけ死に給ふ。小田之九右衞門ふくずみをはじめとしてかけけるが、かけもあわせずしてかなわざれば、城之介殿へこもる。野村三十郞は、こもる事ならざれば追腹をきる。然處に信長に御腹をさせ申而、又城之介殿へ押寄ける。小田之九右衞門ふくづみをはじめとして、こゝわの者共百餘こもりければ、城之介殿にては火花をちらしてたゝかいて、城之介殿をはじめまいらせ而、こと〲く打じにをしたり。小田之源五殿と山之內修理は狹をくぐる、其寄小田之有樂に成。家康は此由をさかいにて聞召ければ、早都へ御越はならせられ給はで、伊賀之國へかゝらせ給ひ而のかせられ給ふ。然處に信長伊賀之國をきりとらせ給ひて、なでぎりにして國々へ落ちちりたる者迄も、引寄々々御せいばいを被成ける時、三河へおち來りて、家康を奉賴たる者を一人も御せいばいなくして、御扶持被成ける間、國に打もらされて有者が忝奉存而、此時御恩をおくり申さではとて、送り奉る成。あな山梅雪は家康をうたがひ奉りて、御あとにさがりておはしましける間、物取共が打ころす。家康へ付奉りてのき給はゞ、何のさおいも有間敷に、付奉らせ給はざるこそ不運成。伊賀地を出させ給ひて、しろこ寄御舟に召而、大野へあがらせ給ふ由聞きて、各御むかひに參而岡崎へ供申。其より本田百助は河しり與兵衞と知音之事なれば、いそぎ參而其元に一揆もおこる物ならば、御かせい可被成と仰つかわされければ、河しりも忝なきと申せ共、百助は一揆をおこして我等を打可申とて來りたると思ひて、馳走して其後蚊帳をつりてふさせて、河しりは長刀をもつて來りてかや之つりてをきつておとして、其儘つきころしければ一揆共此由聞寄も、四方寄押寄而河しりをも打ころす。