然處に大須賀五郞左衞門と、岡部の次郞右衞門、穴山內之者共を指つかわし給へば、あな山衆と岡部次郞右衞門は古府中へ付、大すか五郞左衞門は市河にいたり、然ども爰彼方一揆共にてしづまらざる所へ、大久保七郞右衞門婆口へ付たる由を、五郞左衞門も聞而、さては七郞右衞門が付たるが、今は心安とて太息をつきける處に、石河長門本田豐後親子も付たると申ければ、大方一揆もしづまりけり。然間、大すか五郞左、大久保七郞右衞門、本田豐後親子、石河長門、岡部次郞右衞門、あな山衆、若見こ迄押出す。然る處に七郞右衞門方迄六河衆、おび、つがね衆かけよりて先懸けをする。然る間御出馬程近ければ、此五六手之衆はすわへ押寄ける。大久保七郞右衞門さいかくにて、すわをも引付けり。いなへは大草と、ちくを、是も七郞右衞門が御意を得而、本領を出し而引付けり。然間下ちやうをも、七郞右衞門が引付けり。よだ右衞門は二俣之城を七郞右衞門に渡しける。其由緖をもつて、田中之城をも大久保七郞右衞門に渡さんと申而、七郞右衞門に渡して信濃へ行けるが、信濃もみだれて早其儀もならずして、兩度之ちなみをもつて、七郞右衞門を賴而二俣へおちかくれ而來るを、七郞右衞門が此由を御意をうけければ、信長へ隱しておくべき由御意に候へば、二俣にかくしおく。七郞右衞門申上けるは、此時御用に罷可立候へば、よだ右衞門に本領を被下候へ而、指被越候はゞ普代之者共も不殘罷可出候間、是寄も諸手寄も五騎十騎づつ相くわへられ、甲州先鋒を相そへられて、其故しばた七九郞を御勘氣をかうむりて罷在儀に御座候へば、此度御赦され被成て、此者共の將に被成て指被越候はゞ、作之郡は相違なく御手に可入。其故よき小屋をもち申つるが、其小屋に普代の者共罷有由申と申上ければ、尤之儀成其儀ならば七九郞を相そへ、諸手よりも出合而、早々越候へと御意に候へば、若見こ寄指越ければ、卽小屋へ入ければ、普代之者は夢之多地1して悅て小屋をかたくもつ。
- 오식多地 — 「心地」의 오식으로 보인다(저본 후리가나 「こゝ」).