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야에바라 대진과 장수들의 소극성편집 표제

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然間明之日はまりこの城へはたらかんとて、ちぐま河を越而八重原へ押上ける處に、さなだは是を見て、うんのゝ町へ押出して、八重原之下を一騎打に、手しろづかまではたらきければ、大久保七郞右衞門が是を見て、しばた七九郞をつかいにして、鳥居彥右衞門方と、平岩主計方へ申越ば、兩人之旗をちぐま河のはたへ押おろさせ給へ。然者岡部次郞右は若く候へば、よた源七郞と、すはと我等がむかつて、中を取きりて、ねつ原へおひ上而、一人ももらさず打取べきと申けれ共、兩人之衆一ゑんにすゝみ不申。されば七九郞も手をうしない而立歸り、七郞右衞門に語ければ、如存知左樣に可有。然者河のはたへ出させ給ふ事ならずば、此の山さきまで押出してあとをくろめ候へ。兎角に我等がかゝり可申と重而申ければ、兩人ながら七九郞にも出合給はず、七九もはらを立而此由七郞右衞門にきかせければ、七郞右衞門はこの內之鳥をにがしたりとて、手をうしないて有けるが、重而又御越候へ而給候へと申ければ、其時七九郞七郞右衞門にはをかけ而申は、どれ〱とてもげこに酒をしいたるごとくに武邊之方をしいればとて、しいたよりもあらざるに、重々千度百度行たればとて、かたが可付か、天日あつきとてかきがみをかぶりて、我等にも不出合して、臥りて有にいらざる事を被申候物かな、あのていに候はゞ、出たり共やくには立まじければ、ほしなだん正親子と右之兩人をば有なしにして、其方と我等計成共、出ば出させ給へと被申ければ、源七郞も幼少成、岡部內前もやうしやうなれば、御身と諏訪と我等三人して、進む所にあらざれば、無是非とて打おきぬ。然る所にまりこへはたらきて、八重原に陣取ければ、さなだも押歸して相陣之取ける。然る處に岡部內前之物見番之時、さなだ親子足輕之中へ打まじりて、手ぎつくせり合けるが、岡部內前には、駿河先鋒のこゝわの者共あまたあつまりければ、事共せずしてあひしらいける。其時七郞衞門1又もやこりずして、鳥居彥右衞門方と、平岩主計方へ申被越ける。さなだ親子あしがる場へ出而、かけ引をしたると見えたり。ねがうに幸の處へ出たれば、兩人の旗を我等が陣場迄出させ給へ。然者內前之手まへは引はなされば成間敷候へば、內前を一番にして、其あとへ我等が押つめて、合戰をするならば、さなだ親子をばとてもあの坂をばあげ間敷、打可取と度々のつかひを立けれ共、中々返事もせざれば、日比の事はしりてあれ共、か程とはしらず、もつけかな〱とて打返ぬ。岡部內前斗にても追ひ不被立して、對々にして有つるに、各々出たらば手に物はもたすまじき、千兵はもとめやすし、一將はもとめがたしとは今思ひ合たり。二人之心をもつて勝利をうしなひ給ふ。殊更何れもの手はよき事に會か又あしき事に會か、何樣に此度手にあはざる人は一人もなけれ共、ほしなだん正は、よき事にもあしき事にもあわざれば、たぐいなき武者下戶と見へたり。然間此衆ふるひまわりたる故に、いよ〱敵もきをもちければ、相陣ののきかね而、重而御かせいを申うけて引のきて、各々ははつまがそりに城を取給へば、よだの源七郞は天神林に行而、おさいにおりければ、其時も大久保平助にてつぽうを相そへてかせいに越たり。
  1. 오식 — 「右」가 빠진 것으로 보인다(七郞右衞門).