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겨울 전투의 화목과 해자 매립편집 표제

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然る處に越前少將樣と井伊掃部と亂入んとてほりへとび入どいをのり、旣のりいらんとしたりけれ共、あたりの衆一ゑんにかまひもなく見物したるふぜいなれば、敵は此由を見るよりもあたりの虎口を指置て、おりかさなりてふせぎければ、亂入事もならずして引のきける。ひるゐなき仕合不申及。然る處に城も成間敷と心得てあつかいに成けるは、此儘ゐなりにゆるし給へと申ければ、相國の被仰樣には、其儀ならば惣かまいをくづし給へ。其儀においてはいなりに指おかれ給はんと御意なれば、尤とおうけを申てぶぢに成ければ、おそしはやしと亂入て惣かまいのへいやぐらをくづして、一日之內に日本國の衆が寄合て一日の內にほりを眞平に埋めて、次の日は二の丸へ入て二の丸のへいやぐらをくづし、石がけをほりそこへくづし入てまつたひらに埋めさせ給へば、秀賴もしよらう人も、もろ共に惣がまいと申つるに、二の丸までか樣に被成候う儀共はめいわく仕と申せば、もとより惣がまいと申つる。たゞし本城をばやぶる間敷と申しつるによりて本城はやぶらず。其段になれば物をもいわせずしてうめさせ給ひて、相國樣は御先へ京とへ御歸馬被成けるに、大將軍樣御跡に殘せ給ひて御しをき共被成、五三日御跡に御歸京被成けり。此故は秀賴重而手を被出候共御心安と御意被成、御親子共に卯の正月、駿河關東へ御歸國被成ける處に、二月は早秀賴手かわりの由つげ來る。