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이에야스의 죽음과 유언을 둘러싼 쇼군의 말편집 표제

67 · 479자 ·저본 줄바꿈

然間元和二年丙辰の正月、田中へ御鷹野に御成被成ける處に、俄に御わづらいつかせられて、次第々々におもり給ひて、卯月十七日に御遠行被成ける。御遺言の儀たれしりたる人はなけれども、申ならはしたるは、我がむなしく成ならば、日本國の諸大名を三年は國へ歸さずして、江戶に詰めさせ給へと被仰ける時、大將軍の御狀には御ゆひごんの儀一つとして違背申まじき。然とは申せども此儀におひてはおゆるされ可被成候。左樣にも御座候へば、若御遠行被成候はゞ、是より日本の諸大名をば國へ歸し申て、敵をもなさば國にて敵をさせ、押かけて一合戰してふみつぶし可申。何樣天下は一陣せずしてはおさまり申間敷と被仰候へば、其時御手を合られて、將軍樣をおがませられて、其儀を聞き申度ために申つる。さては天下はしづまりたりと御よろこび成され而、其まゝ御遠行被成候と申たり。下々にて、さても〱將軍樣の被仰樣は承ごとかなと舌を捲いてほめ奉たり。然間相國こそ卯月十七日に御遠行ならせ給ひけれ、各々は不㆑被㆑下して國元にてゆく〱と、其元仕置き其外申付而來年罷下給へと仰被越給ふ。此御ことばに付おそしはやしと諸大名は罷下。