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도쇼곤겐 숭경과 이에야스의 생애편집 표제

70 · 614자 ·편집 단락

抑東照權現は、かたじけなくも紅葉山に崇め奉り、蘋蘩の禮社壇に繁く、奉幣しんぎよく石社なり。其垂跡三所は仲哀、神功、應神三皇の玉體なり。本地を思へば、本覺法身本有の如來なり。八萬法藏十二部經の如來も、法しんの如來も、ほんうの如來も何れとわくべき一體なり。名付て三如來と號す。生界經行果上の三重の袂をあらわしたまへり。百王鎭護の誓を起して、一天靜謐にめぐみおはします。まことに是本朝の宗廟として源氏をまもり給ふとかや。現世あんをんの方便は、觀音の信力を起し給ふ、仰ぎても信ずべきは此權現なり。相國の御ために淸淨衆緣の建立し給ふ。今の權現堂是成。其のほか堂塔を創立し給ふ。佛僧經卷をあふぎ、御志卽壯にして善根も又莫大なり。征夷大將軍に任ず。籌策を帷帳のうちにめぐらし、勝ことを千里の外にえたり。げにやはるかに纔の案祥に御座の御時、淸康山中岡崎を御手に入させられ給ひて、其後三河一國をおさめさせ給ひて、御子廣忠へゆづらせ給ふ處に、伯父內前に立被出給ひて、其後御普代の衆が入奉りて駿河の吉元を賴奉りて、竹千代樣を人質に被㆑進し時、繼祖父中にて盜取、小田の彈正忠へうり奉りて、御六才の御年より熱田大宮司があづかりておはします御時は、かく可有とはたれか思ひよるべきや。今一天四海をしたがへ、唐、高麗、中天竺まで掌なくなびかせ給ひ、なびかぬ木草もなかりける。まことややしきのことばに、天下安寧なる時はけしやくをもちひずとは、今こそ思ひしられたり。