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역대의 덕과 당대 쇼군에 대한 기대편집 표제

69 · 732자 ·편집 단락

さて又我傳聞くは、親氏泰親樣より今當將軍樣迄御代拾一代の御事をあらまし傳てきゝおきしに、御代々御慈悲をもつて一つ、御武邊をもつて一つ、よき御普代をもつて一つ、御情をもつて一つ、是によつて御代々もすへ程御はんじやう目出度なり。御子大將軍樣の御代にわたらせ給はざる時は、物をものたまはず、人に御ことばをかけさせられ給ふ御事もなくして、何とも御心の內をしれず。いかにとしても御代につかせられ給ふ御事、いかゞあらんと申人多き時、大久保彥左衞門が申けるは、この君樣はあだなる御人にはならせられまじき。其をいかにと申に、淸康樣は御年御十三にして御代をうけとらせ給ひて、纔の案祥の小城をもたせ給ひて、雜兵五百の內外の御普代の者斗にて、三河一國を、御年十七八の御時分はきりおさめ給ひて、其後小田の彈正の忠をおひすべて尾張を半國きりとらせ給ひて、諸國にて案祥の三郞殿と申て、人に怕られ給ふ。其淸康樣の御育ち、又はなりふりまでも我親共の物語申つるに、すこしもたがわせ給はねば、うたがひもなき御武邊はたけくおはしまして、諸國の人の恐れをなさざるはあるまじき、目出度御屋方可成ぞ。我は年寄の儀夕さりをもしらず。此かき物に後引合て子共ども見よ。つかな蛇は一寸を出して其大小をしり、人は一言をもつて其賢愚をしるといふことは、當將軍樣の御事なり。御雜談のおもむきを承しに、御武邊ならぶ人有間敷ぞ、御普代久しく召遣われ申せば、御代も御長久に目出度なり。是やせいやうの詞に、漢の文王は千里の馬を宣じ、晉の武王は雉頭の衣をやくとは、今の御代にしられたり。民の竈には朝夕の煙もゆたかなり。賢王の代になれば鳳凰翅をのべ、賢國にきたれば麒麟蹄をとくと云ことも、此君の御時にしられたり。目出たかりし御事なり。