當代記・駿府記史料本文データベース

目次 › 當代記卷一 › t1.017

當代記卷一 第17条

日付表記なし

人物地名家(氏)官職日付固定リンク /projects/todaiki/e/t1.017/

昔年右田原之彈正少息女を道閑娶㆑之給、家康公之御母臺被㆓離別㆒、此田原腹に道閑息女二人有㆑之、又竹千代御袋は西三川あくいへ被㆑移、久松佐渡守と嫁し給、男子女子多有㆑之、あくいは前腹の息へ讓、佐州も後は岡崎へ引越居住し給き、又先年田原と吉田の城主牧野古伯是は牛久保城主牧野しゆんこう弟也、間柄甚不快、兩所共に駿州を賴、殊に古伯は駿州氏親と歌道之朋たり、古伯永正二年、駿河へ下之時、初時雨の發句にて、連歌有㆓興行㆒し、加樣の間柄成けれども、田原は大身、古伯は小身成間、大に付小を捨る故か、田原之爲㆓荷擔㆒、翌年氏親三河へ令㆓出張㆒、吉田を取詰、緊く被㆑攻之間、古伯終に腹を被㆑切、城は田原へ被㆑出、彈正二男金七是に令㆓在城㆒、彼籠城中、去年駿河に會の日時雨たりしに、今又時雨したりければ、古伯一首の歌を詠、氏親へ獻、あいにあいぬ去年も昨日の初時雨定のなきは人の世の中古伯索1無㆑過受㆑罪、城知行をこそ田原へ被㆑出と云とも、感㆓此歌㆒命計被㆑助たらんは、末代迄の物語たるへき物をと、時の人申けると也、
  1. 誤植 — 底本「古伯索」。「古伯素」の誤植か(文意による)。

この条の人物 ・・・・・・・・・