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伊達氏
本文表記 伊達
伊達 第七下 · 10
- p002…子宗村常陸介に任す、常陸入道念西これなり、宗村後に奧州伊達郡を領し、子孫伊達と稱すと云々、此說東鑑に合せ見るに、大樣は違はず、思ふに文治五年鎌倉殿、…
- p009…ば、氏郷急ぎ政宗に牒し合せて、軍勢を率ゐ馳向て、逆徒を打滅す、かゝる所に伊達が譜弟の郞等、須田伯耆、氏郷の陣に來て、政宗會津仙道の地、奪れて安からず…
- p011…遠江守秀宗が事なり參らす、これ秀賴が被官の始たり、されば彼男を以て伊達の家をば繼せなん、汝すべからく遠嶋に移るべし、速に本國に留る宗徒の家人等…
- p011…事すべき事あり、近く參れと召す、二人恐る〱御側に參る、御旨承て歸る、此後伊達が家子郞等、たゞ討手を待て死ねやとて、大に動き立つ、洛中の貴賤、驚き騷ぐ…
- p014…て卒し、二男少將兼陸奥守綱宗家を繼く、初め四位侍從兼美作守たり、萬治三年伊達が一門、幷に家子郞等、一同に綱宗病に犯されて、國務に堪へざる由を披露す、…
- p016…侍從兼遠江守藤原秀宗、伊達と稱す政宗が長子、初め文祿二年、右大臣秀賴生れ給ひし時、政宗其子秀宗…
- p016…曆三年十二月從四位下、寛文三年、侍從兼遠江守に任ず、宮內少輔藤原宗純、伊達と稱す秀宗が四男、父が所領を分ち讓る、伊豫國吉田三万石の地、…
- p017…兵部少輔藤原宗勝、伊達と稱す政宗が末子なり、十男と云正保元年、將軍家に召し出さる、少…
- p017…られて、御糺問あり、三月廿七日重ねて酒井雅樂頭忠清の宅に召决せらる、此日伊達累代の家人原田甲斐宗輔、無二の宗勝が與黨たりしが、彼の宗重を斬て捨て、血…
- p017…提げて、執政の座に切て入らんとす、有合ふ輩馳せ集り、遂に甲斐を討てけり、伊達が家人、疵蒙りて死する者二人、忠清の郞等にも手負ふ者あり、かくて四月三日…
上杉 第八下 · 1
- p019…海道山道二手に分て、攻め上らせ給ひけり、景勝が軍勢、陸奥出羽の際にして、伊達最上の人々と、戰ふこと度々に及ぶ、上方の軍、破れて後、明れば六年十一月、…
相馬 第八下 · 2
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