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大須賀康高
本文表記 康高・大須賀・大須賀五郞左衞門康高・五郞左衞門康高・大須賀五郞左衞門尉康高・五郞左衞門尉平康高
本多 第四上 · 1
- p003…り、康重、山中忠兵衞が記には此時康重の事を越前守とのせたり、榊原大須賀の人々と、先陣を承り秀次の多勢を打破り、逃行く敵を追詰て、岩崎に至る頃、…
本多 第四上 · 1
- p003…うしろ卷せんとて、軍勢二手に引わけて、三河遠江に打ち出る、重次此時は榊原大須賀と、濱松の城に留りしが、重次我等が留守の料に、いざ、間近き武田刑部入道信…
榊原 第四上 · 4
- p001…は逍遙軒といふ、宗徒の侍大將餘多差向く、康政此時は御跡に留りしが、大須賀、五郞左衞門康高なり、本多、作左衞門重次なり、と相謀り、同き…
- p001…といふ、宗徒の侍大將餘多差向く、康政此時は御跡に留りしが、大須賀、五郞左衞門康高なり、本多、作左衞門重次なり、と相謀り、同き九月七日信綱入道が陣…
- p003…き十年武田亡び、織田殿うせ玉ひ、德川殿甲斐國に入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧に御陣をすゑられしは、…
- p003…御歎き淺からず、御吊使として、阿部備中守正次ゆき向ひ、賻給ふ事多し、康政大須賀五郞左衞門康高が娘に相偶して、子四人をまうく、嫡男は外祖の世つぎとなる、大須賀出羽守忠…
松平(松井) 第四下 · 1
- p005…橋なり、十三年八月、信濃國上田の城を攻めて、御方利を失ふと聞えしかば、大須賀井伊の人々と、彼國に向て、御方を迎へて引返す、十八年三月廿九日、北條が山…
井上 第五 · 1
- p002…井上の子孫鷹の羽を紋とする事、是れ阿部の家紋たればなり、清秀成人の後に、大須賀五郞左衞門尉康高の手に屬す、阿部大藏少輔が贈大納言家に忠を盡せし事は、大久保が物語、家忠…
久世 第五 · 2
松平(大須賀) 第十一 · 9
- p001…五郞左衞門尉平康高は、千葉介常胤が四男大須賀の四郞胤信が後胤也德川殿宗徒の侍大將にて御家號…
- p001…馬伏塚の要害に餘多地附て下し賜ひ、同き四年同國城飼郡横須賀の城搆へられ、康高して守らせらる、此年武田四郞勝賴、自ら軍勢を率し、高天神の城に兵粮を入れ…
- p001…せらる、此年武田四郞勝賴、自ら軍勢を率し、高天神の城に兵粮を入れんとす、康高が勢ひに恐れつゝ、城の邊を除ぎて過ぐ、康高打つて出でぬれども、かたき戰を…
- p001…高天神の城に兵粮を入れんとす、康高が勢ひに恐れつゝ、城の邊を除ぎて過ぐ、康高打つて出でぬれども、かたき戰を合はせざれは、味方進みて勝負を决するに及は…
- p001…も、かたき戰を合はせざれは、味方進みて勝負を决するに及はず、初め天正元年康高榊原本多の人々と同しく、當國森の邊りにて武田信綱入道が勢を打ち破りしより…
- p001…にて武田信綱入道が勢を打ち破りしより、同き十年の春四郞勝賴亡びしに至て、康高常に武田が勢と戰ひて、首切て參らする事いくらと云ふ數を知らず、武田が終に…
- p001…勢と戰ひて、首切て參らする事いくらと云ふ數を知らず、武田が終に滅びし事、康高が功莫大なり、此年遠江國城飼の地を賜ひて横須賀の城に移る、德川殿甲斐の國…
- p001…江國城飼の地を賜ひて横須賀の城に移る、德川殿甲斐の國に攻め入らせ給ふ時、康高先陣を承り、今年の秋また北條が勢と戰て勝軍し、長湫の先陣して秀吉の勢を打…
- p001…、井伊松平が勢と同じく馳せ向ひ味方迎へて引返へし、同き十七年六月廿三日、康高年六十二歲にして卒す、外孫なれば榊原小平太康政が嫡男を世嗣とす、五郞左衞…
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