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木下家定
本文表記 入道・肥後守家定・肥後守豐臣家定・此人・肥後の入道・家定・木下肥後守家定
木下 第十上 · 8
- p001…肥後守豐臣家定は、尾張國の住人杉原平入道道松助左衞門が男、豐臣太閤家北政所の御兄…
- p001…所領賜て移る、德川殿の執し申させ給ふに依て、入道の後、二位の法印に任す、此人多くの男子あり、嫡男少將兼若狭守勝俊、二男宮内少輔利房、三男右衞門大夫延…
- p001…地沒收せらる、延俊秀秋は東國の御方として、二人ながら德川殿の御恩に預る、肥後の入道が卒せし後、德川殿彼が所領の地、勝俊利房兄弟に分ち賜ふ、然るに政所勝俊を…
- p001…房には與へられず、大御所此由を聞召し御氣色宜からず、慶長十四年九月廿七日入道が遺領をば終に沒收せられてけり、…
- p003…宮內少輔豐臣利房は、肥後守家定の二男、豐臣太閤の御時、若狭國高濱の城を領す、慶長五年の秋、大坂の催促に…
- p003…歸して後、政所の御由緣に依て、死罪をば宥められ、所領をば沒收せらる、父の入道卒せし後、其遺領を分ち、舍兄勝俊幷に利房に下し賜ふ、政所偏に勝俊にのみ與…
- p004…右衞門大夫豐臣延俊は、肥後守家定が三男、豐臣太閤の御時より、父家定留守職を承て、常に大坂の城に在りしかば…
- p004…右衞門大夫豐臣延俊は、肥後守家定が三男、豐臣太閤の御時より、父家定留守職を承て、常に大坂の城に在りしかば、延俊父の代官として播磨國姫路の城…
金吾 第十二上 · 1
- p001…三原中納言と申せし也公卿補任には隆景中納言に任せし事みえず實は木下肥後守家定が四男、豐臣太閤家北政所の御甥なり、初め北政所みつからの御子なき事を深く…
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