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本多忠刻
本文表記 忠刻・中務少輔忠刻・平八郞・中務大輔忠利・本多中務大輔・本多中務少輔忠刻
本多 第四上 · 6
- p011…らせ、男子三人、女子二人まうけたり、是皆大御所の御外曾孫とぞ聞へし、嫡子中務少輔忠刻、初名は平八郞、大坂の軍に從て向ひぬ、これも將軍家の姫君に天樹院…
- p011…まうけたり、是皆大御所の御外曾孫とぞ聞へし、嫡子中務少輔忠刻、初名は平八郞、大坂の軍に從て向ひぬ、これも將軍家の姫君に天樹院殿の御事そひ奉…
- p011…天樹院殿の御事そひ奉り、女子一人をまうく、備前少將光政の室是なり、忠刻三十一歲にて父に先だち、元和五年五月七日に卒す、はしめ姫君の御化粧田…
- p011…五年五月七日に卒す、はしめ姫君の御化粧田として、十万石をつけて、忠刻に玉ひしと云、忠刻卒して男なければ、彼の十万石は收公せられしなり、…
- p011…、はしめ姫君の御化粧田として、十万石をつけて、忠刻に玉ひしと云、忠刻卒して男なければ、彼の十万石は收公せられしなり、…
- p012…丸わづか二歲なりしかば、叔父忠朝が世嗣となる、大多喜五万石を領す兄中務少輔忠刻世を早うして後、元和八年政朝また父の家を繼ぐ、姫路十五万石我…
山口 第六 · 1
- p005…重政年比本多美濃守忠政に親し、天壽院殿は忠政の男中務大輔忠利に添はせ玉ひしかば、重政父子の事よく知召され、折にふれて御歎き有しかば、…本文:忠利
池田 第七上 · 1
- p008…三年八月十九日左少將に任し、大相國家の御外孫女に添ひ參らす、天樹院殿、本多中務大輔に添ひ給ひ、設け給ひし所なり、同き九年六月十八日、備前の國に移る、此…
坂崎 第十二下 · 1
- p002…ん樣にこそ、あらまほしく存ずれと申て罷り出づ、とかく日數ふるほどに、姫君本多中務少輔忠刻が家に入らせ給ふべしと聞ゆ、坂崎大に恨み參らせて、かくては如何で世の人に…
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