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本多忠朝
本文表記 忠朝・本多出雲守忠朝・出雲守忠朝・出雲守藤原忠朝・主
保科 第一 · 2
本多 第四上 · 12
- p010…勢國桑名の城を賜ひぬ、十万石今迄領せし大多喜をば、五万石二男忠朝に賜ふ、父子共に、去年の勳功の賞とぞ聞えたる、忠勝十七歲の時初て軍し、大…
- p012…侍從兼甲斐守藤原政朝、忠政の二男なり、大坂の戰に父と一所に軍しけり、叔父出雲守忠朝討死して、其男入道丸わづか二歲なりしかば、叔父忠朝が世嗣となる、大多喜…
- p012…に軍しけり、叔父出雲守忠朝討死して、其男入道丸わづか二歲なりしかば、叔父忠朝が世嗣となる、大多喜五万石を領す兄中務少輔忠刻世を早うして後、元和…
- p012…八年政朝また父の家を繼ぐ、姫路十五万石我今まで領せしは、叔父忠朝に賜ひし處なり、入道丸やうやく人と爲り、內記政勝と申、彼父が遺領なればと…
- p014…出雲守藤原忠朝は、中務少輔忠勝が二男、生年十九歲にて、父と同じく關が原の合戰に、嶋津が…
- p014…の御感斜ならず、明れば慶長六年春、忠勝桑名の城を賜て、父が領せし大多喜を忠朝に給ふ、五万石是去年の勳賞とぞ聞えたる、大坂の兵起り、將軍家の先陣…
- p014…廿餘人を引具し、敵の陣を懸破り〱、思ふさまに戰ひ、年三十四歲にて打死す、忠朝がかく打死せし事は、去年大坂の城を攻られしに、忠朝が仰を承て向ひし所、川…
- p014…年三十四歲にて打死す、忠朝がかく打死せし事は、去年大坂の城を攻られしに、忠朝が仰を承て向ひし所、川前に流れて水深く、城をせむるに便り宜しからず、忠朝…
- p014…忠朝が仰を承て向ひし所、川前に流れて水深く、城をせむるに便り宜しからず、忠朝此由を申、大御所御氣色損して、汝が父の軍せし事、山をも川をも嫌はざりきと…
- p014…、大御所御氣色損して、汝が父の軍せし事、山をも川をも嫌はざりきと仰あり、忠朝口をしき事に思ひ打死せんと思ひ定む、程なく東西御和睦ありければ、安からぬ…
- p014…起りしかば、此度こそ、本意をば遂くべけれと思ひ、かくは戰ひ死せしとなり、忠朝が郞等、主の死骸をかきて、大御所の御馬の前を過ぐるを御覽して、御淚をなが…
- p014…此度こそ、本意をば遂くべけれと思ひ、かくは戰ひ死せしとなり、忠朝が郞等、主の死骸をかきて、大御所の御馬の前を過ぐるを御覽して、御淚をながさせ給ひし…
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