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松倉重政
本文表記 重政・松倉・松倉豐後守重政・松倉豐後守・豐後守藤原重政・九一郞・豐後守重政
堀 第七上 · 1
- p006…て、五月六日、道明寺の戰に敵を破り、明る七日の戰に、首八十七きつて獻る、松倉豐後守重政と、道明寺の功を爭て、兩御所の御裁斷を仰く同き二年、越後本庄の城に移る、…
筒井 第十二上 · 1
- p009…には順慶が妹の夫箸尾宮内少輔は、只一子あり關が原の後、箸尾所領を失ひしに松倉所緣に就きて養ふ、大坂の事起りし時、箸尾重代の家人等が勸めに因り城中に籠…
古田 第十二下 · 2
松倉 第十二下 · 35
- p001…豐後守藤原重政は彌七郞秀政が嫡子也、松倉が先祖は越中の國の住人にて、嘉吉年中大和國に來…
- p001…びてのち、德川殿に仕へて和州五條村二箕村を新城として一万石を領す、或說に重政の曾祖父式部廣次といふは、三千石計りの地を領したり、其子左馬助某其子右近…
- p001…といふは、三千石計りの地を領したり、其子左馬助某其子右近大夫信重といふ、重政は信重が子なり、筒井順慶が世嗣伊賀守定次伊賀國に移されし時、右近大夫當國…
- p001…、松倉彌八郞は越智三千石を與ふと見えたり、右近大夫が事は見えず、又一說に重政初め吉野郡五條二箕の城に在りといふ、又一說に重政いまだ九一郞と申せしより…
- p001…夫が事は見えず、又一說に重政初め吉野郡五條二箕の城に在りといふ、又一說に重政いまだ九一郞と申せしより、豐臣家に仕はれ初め二千石を賜ひ、其後三千石を加…
- p001…えず、又一說に重政初め吉野郡五條二箕の城に在りといふ、又一說に重政いまだ九一郞と申せしより、豐臣家に仕はれ初め二千石を賜ひ、其後三千石を加へられしとい…
- p002…慶長五年の秋東西の軍起りし時、豐後守重政關東に馳せ下り、又德川殿の御供して馳せ上る…
- p003…後の國に差向け、細川が城を攻めよとて七月廿日丹波但馬の人々、大坂を打立つ重政も寄手の中に駈り催されしが、此日亡父が忌日なればとて、僧たち家に招請し佛…
- p003…旨をぞ禀けたる、當時軍起りし初にて島も其事となく取紛れて、日數經る程に、重政大に怒て、さらば關東の味方にこそ參らめとて、郞等田中藤兵衞尉召具して、東…
- p003…參らめとて、郞等田中藤兵衞尉召具して、東國に馳せ下りしといふ、又一說には重政昔より井伊侍從の家人木股淸左衞門守吉と親かりしかば、守吉に就きて侍從を賴…
- p005…若し此說に據らば初め重政も本多と同じく大和大納言家に仕へて、秀俊薨ぜられてのちに、大坂の家人とな…
- p006…九月十五日東西既に關が原にして矢合せんとす、重政郞等の田中一人具して、德川殿の御陣に參る、重政仰承りて大事の要害を守ると…
- p006…關が原にして矢合せんとす、重政郞等の田中一人具して、德川殿の御陣に參る、重政仰承りて大事の要害を守るといへども、彼處に在て今日の戰は如何にやあらんず…
- p007…一說に此時重政井伊が手に屬して首八つを切る、島津が家人阿多盛淳入道長壽をば、重政が從者…
- p007…に此時重政井伊が手に屬して首八つを切る、島津が家人阿多盛淳入道長壽をば、重政が從者山本七助茂純といふもの討ちしと云ふ…
- p008…德川殿重政が振舞ひ大に御感あつて頓て其賞行はる、大和國宇智郡二見の地一万石大…
- p008…て戰ひ、明れば五月七日の合戰に首五十三切て献る、軍終て後、堀丹後守直寄、重政と功を爭ひ兩御所の御裁斷を蒙て、重政が申す旨ことわりありければ、大御所の…
- p008…三切て献る、軍終て後、堀丹後守直寄、重政と功を爭ひ兩御所の御裁斷を蒙て、重政が申す旨ことわりありければ、大御所の御感斜ならず、…
- p009…ひ、人々の手に御使を給て引返さる、藤堂下知して我手の人々引き返さんとす、重政其旨に從はず、初め城に向ひしには、先手の人々に拔かけし、今御使を承るこそ…
- p009…たりける、兩御所の御使を承て後、引て返る、又此年五月六日道明寺の合戰に、松倉が後陣に控へし勢亂れしに、松倉が勢の捨てたる旗を、堀丹後守拾ひ取て證とし…
- p009…、引て返る、又此年五月六日道明寺の合戰に、松倉が後陣に控へし勢亂れしに、松倉が勢の捨てたる旗を、堀丹後守拾ひ取て證とし、松倉既に迯け走るに及て、直寄…
- p009…後陣に控へし勢亂れしに、松倉が勢の捨てたる旗を、堀丹後守拾ひ取て證とし、松倉既に迯け走るに及て、直寄が軍勢して助け候ひぬといふ、松倉陣して旣に戰を合…
- p009…拾ひ取て證とし、松倉既に迯け走るに及て、直寄が軍勢して助け候ひぬといふ、松倉陣して旣に戰を合せんとする時、旗は陣のをりへに立つること勿論なり、重政が…
- p009…、松倉陣して旣に戰を合せんとする時、旗は陣のをりへに立つること勿論なり、重政が後陣亂れたるに及て、捨てたる旗を拾ひし事、直寄既に重政に後れ來ること揭…
- p009…ること勿論なり、重政が後陣亂れたるに及て、捨てたる旗を拾ひし事、直寄既に重政に後れ來ること揭焉たり、且重政が勢逃くる敵を追ひ討つに及で、敵また弓手の…
- p009…たるに及て、捨てたる旗を拾ひし事、直寄既に重政に後れ來ること揭焉たり、且重政が勢逃くる敵を追ひ討つに及で、敵また弓手の山より横さまに馳せ下る程に、迯…
- p009…る敵も又取て返し、味方さん〱に成て引返す、天野半之丞只一人蹈み留て戰ふ、重政これに力を得て味方を下知し、取て返し戰て勝つ事を得たり、かゝる所に丹後守…
- p009…打て、おのが勢の眞先かけて、かたきのしりへに馳せ向ふを見て候ひき、されば重政いりで直寄が助を請ひ候ふべきと申ければ、大御所聞召され去年重政が高虎と相…
- p009…き、されば重政いりで直寄が助を請ひ候ふべきと申ければ、大御所聞召され去年重政が高虎と相論に及びしも、其理なきにあらず、今又陳じ申す所、其證あるに似た…
- p012…寛永の初、重政が家人の乘つたる船、風に流されて呂宋國につく、彼國の人我國の財を悅て、此…
- p012…れて呂宋國につく、彼國の人我國の財を悅て、此後も年々に往來せよと約束す、重政この由を聞て然るべき古兵を、商人の樣になし立てゝ、彼が悅ふ物共を多く船に…
- p012…へとて、赤旗一流留め置て歸る、人の風俗國の要害を、能々見おほせてければ、重政關東に參り御許しを蒙て、彼國を打從へんと望む、頓て御許しを蒙り悅ぶこと限…
- p012…ゝを拵へ、來年は押渡らんとせし時に忽ち煩ひ付きて死しければ此事止みぬと、重政に仕へし古兵の申せしを承りき、此時呂宋に使せしは吉岡九右衞門木村權之允と…
- p012…權之允と申す、木村は彼國に病死し吉岡は彼處に留ること五箇月にて歸りしに、重政は去年の冬死したれば其事空しくなりたり、吉岡等長崎を立ちしは寛永七年十一…
- p013…寛永七年十一月十六日重政卒して、其男長門守重治家を繼く、實は養子なり實父は知らず同き十四年…
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