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滝川雄利
本文表記 雄親・雄利・下總守・瀧川・三郞兵衞尉・羽柴下總守勝雄・勝雄・羽柴下總守雄利・現常院・瀧川兵部少輔・下總守雄利・下總守勝雄・瀧川下總守雄利・下總守紀雄利・兵部少輔・瀧川下總守
越前 第一 · 4
- p001…にのぼり、守殿の御館に入れまゐらす、同き十三年の十二月、北畠の使として、羽柴下總守勝雄、土方勘兵衛雄久、德川殿に參り、殿は關白殿と年比の御恨あるにもあらず、一…本文:勝雄
- p001…と申さる、御許容の御氣色もなくて、使をば返されたり、明る正月二十一日に、下總守勝雄、また關白の御使となつてまゐる、御物語の序に、殿は久しう都の方は御覽せぬ…本文:勝雄
- p001…洛を催されんには、汝たゞ眞直に申せ、家康また思ふ所ありと仰せられしかば、勝雄大に恐れて、秀吉いかでさる事を思ひ玉ふべき、是はたゞ勝雄が存ずる處を、申…
- p001…仰せられしかば、勝雄大に恐れて、秀吉いかでさる事を思ひ玉ふべき、是はたゞ勝雄が存ずる處を、申たるに候とて、頓て御暇申て罷歸る、秀吉この由を聞玉ひ、と…
鳥居 第四中 · 3
北條 第六 · 1
- p003…の名譽、誠に双ひなしといつべし、爰に太田十郞氏房、氏政の子氏直の弟羽柴下總守勝雄と相議して、東西の和睦、事ならんとす、按するに、關白浮田秀家して計ら…
脇坂 第十上 · 5
- p001…石十二年信雄秀吉、中違ひありし初め、兼て信雄より秀吉に出されし人質、瀧川下總守雄利が男をば安治が預りたり、雄利使立て、夫れに候ふ息男が母、以の外に違例し、…
- p001…、兼て信雄より秀吉に出されし人質、瀧川下總守雄利が男をば安治が預りたり、雄利使立て、夫れに候ふ息男が母、以の外に違例し、今はかうと見え候ふ、哀れ安治…
- p001…治哀れに思ひしかば、暫し許したらんは、何か苦しかるべきとて、送り遣はす、雄利頓て引具して、伊賀國上野の城に立籠る、安治安からぬ事に思ひ、押寄せて城を…
- p001…、押寄せて城を攻めんことを望む、秀吉聞も敢へず、天晴己も秀吉たばかつて、瀧川に與みせんと思ふな、己が勢の分際、いかで彼が勢に向て、戰ふことを得べきと…
- p001…と言觸れ〱行く程に、國人等是處彼處より馳せ參る、今宵上野の城を襲ひ攻む、瀧川斯程多勢なるべしとは思ひも寄らず、取るものも取りあへず、上野の城を落て、…
山岡 第十一 · 1
- p003…を降人となし、內膳正志摩守城受取て番の兵を籠め置く、神戶の城に向ひ羽柴下總守雄利が城を取て、城には番の兵を留め龜山の城に向ふ、岡本下野守宗憲も降參す、爰…
瀧川 第十二下 · 31
- p001…下總守紀雄利は初は雄親村上天皇の皇子具平親王の御末、伊勢の國司北畠源大納言顯能…
- p001…下總守紀雄利は初は雄親村上天皇の皇子具平親王の御末、伊勢の國司北畠源大納言顯能卿の嫡男、木造…
- p002…具の子を養ひて家つがす、是れ木造兵庫頭具之なり、其子左衞門佐具康といふ、下總守は具之の庶子たりと云々、かゝれば村上源氏なり、武家補任を見るに紀氏の由に…
- p003…雄利は初め父母の命によつて法師となり、木造の現常院に住しけり、然るに此僧身は…
- p005…信長此隙を伺ひて現常院等案内者となされ、伊勢の國に發向し木造助けて北畠と戰ふ、現常院頓て還俗し…
- p005…隙を伺ひて現常院等案内者となされ、伊勢の國に發向し木造助けて北畠と戰ふ、現常院頓て還俗して織田殿の侍大將瀧川一益が後に左近將監を云名字を請て、瀧…
- p005…院頓て還俗して織田殿の侍大將瀧川一益が後に左近將監を云名字を請て、瀧川兵部少輔と名のる、…
- p007…終に信長に戰ひ負て中直りし、彼の二男茶筅丸に家讓らんとて子とす、信長かの瀧川兵部少輔柘植三郞左衞門尉二人、同じく御曹司に附けられ、兵部少輔改めて三郞兵衞尉と…
- p007…とす、信長かの瀧川兵部少輔柘植三郞左衞門尉二人、同じく御曹司に附けられ、兵部少輔改めて三郞兵衞尉と申す、元龜二年の夏具敎我が娘御曹司にあはせ、明れば三年…
- p007…瀧川兵部少輔柘植三郞左衞門尉二人、同じく御曹司に附けられ、兵部少輔改めて三郞兵衞尉と申す、元龜二年の夏具敎我が娘御曹司にあはせ、明れば三年の春、元服させ三…
- p007…夏具敎我が娘御曹司にあはせ、明れば三年の春、元服させ三助信雄と名のらす、三郞兵衞尉かの名の字賜つて雄親とぞ名乘りける、其後に雄利と改む四年の冬信長具…
- p007…、明れば三年の春、元服させ三助信雄と名のらす、三郞兵衞尉かの名の字賜つて雄親とぞ名乘りける、其後に雄利と改む四年の冬信長具敎を討て北畠の一族悉…
- p007…助信雄と名のらす、三郞兵衞尉かの名の字賜つて雄親とぞ名乘りける、其後に雄利と改む四年の冬信長具敎を討て北畠の一族悉く滅し、伊勢の國を奪ひ取て信雄…
- p007…の冬信長具敎を討て北畠の一族悉く滅し、伊勢の國を奪ひ取て信雄に附けらる、三郞兵衞尉叙爵して下總守になさる、六年の冬伊賀の國の住人福地何某、織田殿に心を通し…
- p007…通して當國の案內仕らんと望む、信長まづ彼國を信雄に賜ひ軍勢を差向けらる、瀧川下總守丸山の城を賜て當國を打隨へんとす、同き十年の夏織田殿失せ給ひしかば、伊賀…
- p007…年の夏織田殿失せ給ひしかば、伊賀國の侍等信雄に叛く則ち討手を差向けらる、下總守まづ音羽の城を攻めて、南北の地を打隨へ猶國中を平けんとす、信雄その功を賞…
- p007…北の地を打隨へ猶國中を平けんとす、信雄その功を賞して此年の冬伊賀の國悉く雄親に賜ふ、幾程なくて國中悉くに平きぬ、筑前守秀吉かくと聞いて、あつぱれ大剛…
- p008…此年元日雄親夢に、あざ丸をぬきて月見る今夜かなといふ句を見しといふ、あざ丸は惡七兵衞…
- p009…吉又信雄を失はんと謀て、先づ彼家人等味方させんが爲に、悉く其人質を請ふ、雄親信雄の命に從て、おのが子を參らせたを、秀吉脇坂中務少輔安治して守らせらる…
- p009…輔安治して守らせらる、十二年の春信雄始て秀吉の謀を知て軍起さんとする初、雄親脇坂が許に來て妻がいたはり、以の外に侍れば、暫しがほど子息給つて、此世の…
- p009…給ひしかば、脇坂手勢廿騎ばかり引具して鞭鐙合せて追ひ懸く、伊賀の國に入て瀧川打參らせたらん者は、勸賞乞ふに依るべしと呼はつて馳せ行く、國人等此處彼處…
- p009…て馳せ行く、國人等此處彼處にて馳せ付き〱する程に、其夜上野の城に押寄す、雄親かほどに小勢なるべしとは思ひも寄らず、取者も取あへず、城を落て伊勢の國に…
- p009…あへず、城を落て伊勢の國に趣く、信雄頓て松が島の城を賜はりしかば、同三月雄親軍勢引具し押寄せ、彼城攻め取て日置大膳亮と共に籠る、徳川殿より服部半…
- p009…軍し池田森等を始めとして兵多く討る、味方また嶺澤神戶國府等の城を落さる、瀧川日置防き戰ふこと十四度、寄手の多勢入替〱攻めしほどに、溜りつべしとも見え…
- p009…、伊勢國の侍星合左衞門が娘慶寶といふ比丘尼使して城をさけ渡せしなり雄親松が島を去て又濱田の城に籠る、此時雄親大船を城中に引き入れしを、秀吉聞召…
- p009…ふ比丘尼使して城をさけ渡せしなり雄親松が島を去て又濱田の城に籠る、此時雄親大船を城中に引き入れしを、秀吉聞召し不審し給ひて其後に下總守を御家人にな…
- p009…城に籠る、此時雄親大船を城中に引き入れしを、秀吉聞召し不審し給ひて其後に下總守を御家人になされし時、尋ね給ひしに、君もし我城を水攻にし給はん時の料に候…
- p010…白秀吉四國の地退治あつて後、伊勢の國神戶の城を信雄に附けらる、信雄彼城を下總守雄利にぞ賜びたりける、今迄は神戶の城を生駒雅樂頭領せしを讃伎國賜て移りし…
- p010…ける、今迄は神戶の城を生駒雅樂頭領せしを讃伎國賜て移りし故なり又此頃下總守は名を改めしなり同き十八年相摸の北條滅びし時、信雄關白の爲に國奪はれし…
- p010…を改めしなり同き十八年相摸の北條滅びし時、信雄關白の爲に國奪はれし後、下總守雄利、殿下に召され神戶の城を賜ひ二万石羽柴を名のらせ御相伴衆になされて…
- p010…太閤薨し給ひし後、慶長五年の秋大坂の奉行等、德川殿失ひ參らせんとせし時、雄利上方に與みして所領の地失ふ、其後關東に召されて常に將軍家に伺候す、御咄…
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