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真田信之
本文表記 信幸・伊豆守信幸・源三郞信幸・伊豆守・眞田伊豆守信幸・眞田父子・伊豆守滋野信幸・眞田父子兄弟・一當齋
本多 第四上 · 1
- p010…り居て、十五年十月十八日、六十三歲にて卒しぬ、男子二人女子二人あり、姉は眞田伊豆守信幸が妻にて、女なれども能き大將にて有けり、妹は奧平大膳大夫家昌に嫁したり、…
岡部 第六 · 1
- p001…平岩のめん〱と、同しく取てかへして戰ひ、同き廿日、長盛一勢人まぜもせず、眞田父子と戰て、御感にこそ預りけれ、御書を給て賞せらると云、十六年四月、従…
眞田 第九上 · 26
- p001…伊豆守滋野信幸は、信濃國の住人海野小太郞幸恒が後とぞ聞えける…
- p002…が事を載す、東鑑に記るせる事、殊に詳なり、幸氏後に左衞門尉に任ず、是乃ち伊豆守信幸が廿二代の祖なり、…
- p003…三年五月廿一日長篠の合戰に打死す、三男安房守昌幸、四男隱岐守信尹と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞田源五郞と申て、晴信入道に近く仕へ…
- p003…を始とし、城八箇所攻取て、此年十二月より明年に至て攻取る所なり嫡子源三郞信幸に、沼田の城をぞ守らせける、即ち伊豆守なり同き十二年、德川殿北畠を…
- p003…年に至て攻取る所なり嫡子源三郞信幸に、沼田の城をぞ守らせける、即ち伊豆守なり同き十二年、德川殿北畠を助けて、伊勢と尾張との際にて、秀吉と戰ひ、…
- p003…分ち戰て、終に一度の不覺なく、又北條の軍勢、沼田の城を攻めたりしが、嫡子信幸、戰て寄手の勢を打破る、德川殿の御勢、利なくして、上田の城より引返せば、…
- p005…殿又候ふ沙汰あるべしとありければ、元の沼田の地、眞田に返し與へらる、嫡子源三郞信幸、初より此所を領せしに依て再ひ沼田の城に移り、德川殿の御被官となりぬ、昌…
- p005…、昌幸が上田の城、初より德川殿の御領の外なれば、元の儘にぞ賜ひける、其後源三郞信幸、叙爵して、伊豆守に任じ、本多美濃守忠政が娘を妻とす、忠政か妻は岡崎殿…
- p005…豆守に任じ、本多美濃守忠政が娘を妻とす、忠政か妻は岡崎殿の御娘なれば、信幸德川殿の御曾孫婿と成れるなり、源次郞幸村も、左衞門佐になされて、大谷の…
- p005…谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討たるべしとて、御下向あり、眞田父子兄弟、催促に隨ひ、打連て向ふ、下野國宇都宮の邊り、犬伏と云ふ所に至る、石田大…
- p005…、安房守是を讀み終て、まづ二男左衞門佐が方に差出す、幸村兄に向て色代す、信幸たゞ夫れにて見候へ、如何なる事にやあらんと云ひければ、其時昌幸されば此程…
- p005…昌幸御方に參るべしと、秀賴の仰を蒙りぬ、扨おことは、如何にや思ふと問ふ、伊豆守是を聞て、君は年頃德川殿と、よからぬ御中にはべれば、秀賴公の仰にや隨ひ給…
- p005…き、左衞門佐は、又大谷に、むすぼれたり、是も定て、上方へこそ參るべけれ、信幸內府の恩蒙ること年久し、まして本多が娘にあひなれ、所緣に付ては、疎からぬ…
- p005…名を汚し、長く子孫に耻のこさん事、却て不孝にこそはあるべけれ、詮する所、信幸に於ては、關東の方人して、彼家と共に興亡を同う仕るべう候と申す、昌幸强て…
- p005…を同う仕るべう候と申す、昌幸强て留むるに及ばず、父子兄弟、忽に引き別れ、信幸東へ參りければ、昌幸幸村、是より信濃へ引返して、西へこそ隨ひけれ、德川殿…
- p005…り信濃へ引返して、西へこそ隨ひけれ、德川殿、此由を聞召し、御消息を給て、信幸が志を感し給ふこと斜ならず、中納言殿、山道より攻登らせ給ふ時、昌幸幸村、…
- p005…、中納言殿、山道より攻登らせ給ふ時、昌幸幸村、御勢を留め參らせんと計る、信幸先陣賜はりて、伊勢崎の要害、攻破て後、堅く先陣を辭し申ければ、御ゆるし蒙…
- p005…蒙て、上田の城には向はず、關が原の合戰終て、天下悉く德川殿に歸し參らせ、伊豆守信幸、勳功の賞に申替へて昌幸幸村、死刑をば宥めらる、信幸大に悅て、此由を告し…
- p005…に歸し參らせ、伊豆守信幸、勳功の賞に申替へて昌幸幸村、死刑をば宥めらる、信幸大に悅て、此由を告しかば、父子上田の城を出て、高野山に遁れ、慶長十四年、…
- p005…り、類ひなき振舞して、父子ともに打死す、父は四十六歲子は十六歲と云伊豆守信幸は、父と弟とが命、乞ひ受け申せしのみにあらず、上田の城に餘多の地加賜て、…
- p005…石、上田二万八千石、加增五万石、合て十一万五千石也大坂の軍起りしに、信幸父子、將軍家の先陣して、城を攻む、再び軍起りしに、子息兄弟、大御所の先陣…
- p005…軍起りしに、子息兄弟、大御所の先陣して、天王寺に向つて合戰す、元和八年、信幸信濃國松城に移さる、十三万石沼田を領する事、元の如し、明曆二年十月…
- p005…松城に移さる、十三万石沼田を領する事、元の如し、明曆二年十月晦日、信幸致仕す、嫡子河内守信吉早世し、二男内記信政に家を讓り、松城十万石嫡…
- p005…嫡孫熊之助に、沼田の城を分ち給ふ、三万石同四年七月十六日、入道して一當齋と號し、同年の十月十七日、九十三歲にて卒しけり、內記信政、信幸が二男なり…
- p005…入道して一當齋と號し、同年の十月十七日、九十三歲にて卒しけり、內記信政、信幸が二男なり、生年十九歲にて、大坂の軍に從ひ、兄信吉早く卒しければ、父が家…
- p006…伊賀守滋野信澄は、河内守信吉が子、伊豆守信幸が嫡孫なり、父信吉十九歲にして大坂の軍に隨て、高名を施し、再び軍起りし時…
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