人物索引 › 竹中重治
竹中重治
本文表記 重治・此人・竹中半兵衞尉重治・半兵衞尉重治・竹中
黑田 第七上 · 1
- p001…吉に隨ひ、佐用の城を攻て先懸し、同き十一月廿七日、秀吉の下知に依て、孝高竹中半兵衞尉重治と共に、備前の國福岡の城を攻め、同き六年毛利が上月の城を攻し時、孝高うし…
竹中 第十二下 · 23
- p001…丹後守源重門は半兵衞尉重治が男也、重治が父遠江守某が時に至て、美濃國の守護齋藤山城守入道道三に隨て…
- p001…丹後守源重門は半兵衞尉重治が男也、重治が父遠江守某が時に至て、美濃國の守護齋藤山城守入道道三に隨て、不破郡岩手…
- p001…が時に至て、美濃國の守護齋藤山城守入道道三に隨て、不破郡岩手の城にあり、重治幼くして父に繼ぎ、菩提の城に在り、生年十九歲、主の右兵衞督龍興を恨むる事…
- p002…重治が稻葉山の城襲ひ取りし事、太閤記に精しく見えたり、去ながら彼國の侍黑田孫…
- p002…彼國の侍黑田孫右衞門と云ひし者の我が師に語りしは、事のやう少しく變れり、重治童なる時には、年頃よりは愚かに見えたる人なりけり、元より龍興が被官たれば…
- p002…りけり、元より龍興が被官たれば、質として舍弟久作を城中に置きけり、龍興も此人の愚かに見えしを侮て、常に無禮の事共多かりけり、十九歲の時城に登りて返り…
- p002…歲の時城に登りて返りしに、龍興が侍共、主の常に侮るにならひて、櫓の上より重治に小便をしかけてけり、重治さらぬ躰にもてなし、押拭ひておのが城に歸り、舅…
- p002…龍興が侍共、主の常に侮るにならひて、櫓の上より重治に小便をしかけてけり、重治さらぬ躰にもてなし、押拭ひておのが城に歸り、舅の安藤伊賀守が許に行て、重…
- p002…治さらぬ躰にもてなし、押拭ひておのが城に歸り、舅の安藤伊賀守が許に行て、重治は屋形を恨み參らする事あつて、襲ひ參らせんと思ふなり、加勢給はるべしとい…
- p002…を傾けんこと叶ふまじと思ひしかば、此事ゆめ〱然るべからずと敎訓して歸す、重治弟久作煩ふ事あり、傍に侍ひて醫療を加へよとて、侍六七人を城中に入れ置きぬ…
- p002…すまして、物の具ひし〱と固めて切て入る、其夜の番の侍大將齋藤飛驒守をば、重治眞二つに斬つて伏す、かく小勢なるべしとは思ひもよらず、俄の事にはありけり…
- p002…彼男攻め入てけりと大に驚き、手勢引具し鞭鐙を合せて馳せ來るに、城をば既に重治が手に取てけり、其後安藤が計ひにて龍興重治中直りして城をば龍興に返し與へ…
- p002…を合せて馳せ來るに、城をば既に重治が手に取てけり、其後安藤が計ひにて龍興重治中直りして城をば龍興に返し與へ、重治は近江の國に去てけりとぞ、…
- p002…手に取てけり、其後安藤が計ひにて龍興重治中直りして城をば龍興に返し與へ、重治は近江の國に去てけりとぞ、…
- p003…重治其後織田殿に從ふ、元龜三年織田淺井不快の事起て、木下藤吉郞秀吉を差向けら…
- p003…ふ、元龜三年織田淺井不快の事起て、木下藤吉郞秀吉を差向けらるゝに及んで、重治に寄騎の侍多く付けて秀吉に副へられたり、是より常に秀吉を助けて、謀を運ら…
- p003…を决す、初め豐臣太閤多くの武功を顯し、織田殿の御感に預り給ひしこと、偏に重治が助け參らせしに依てなり、天正七年の春秀吉を助けて播磨の國三木の城を攻む…
- p003…の國に馳せ下り、同六月平山の陣にして空しくなる、三十六歲とぞ聞えける、此人の事太閤記に其傳あり合せ見るべし古き人の申せしは、重治が勇謀武略、當…
- p003…ぞ聞えける、此人の事太閤記に其傳あり合せ見るべし古き人の申せしは、重治が勇謀武略、當時の人恐れ敬はずと云ふことなく、昔の楠、今の竹中と申せしな…
- p003…申せしは、重治が勇謀武略、當時の人恐れ敬はずと云ふことなく、昔の楠、今の竹中と申せしなり、此人三木の陣に在りし日、書寫山にて僧の具買ひ求めて、高野山…
- p003…謀武略、當時の人恐れ敬はずと云ふことなく、昔の楠、今の竹中と申せしなり、此人三木の陣に在りし日、書寫山にて僧の具買ひ求めて、高野山にのぼせ置き、城攻…
- p003…を遁れんと思ひしと見えきといふ、想ふに秀吉我が勢ひの起るに從ひ、我が才の重治に及ばぬ事を知り給ひ、彼を深く忌み思ひ給ひしに依て、かくは思ひ立ちしなる…
- p004…丹後守重門童名は吉助、七歲にして父重治におくれ、秀吉天下の事を知召されて後十六歲にして從五位下丹後守になさる、…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく