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菅沼定盈
本文表記 定盈・織部正源定盈・菅沼織部正定盈
菅沼 第十一 · 20
- p001…織部正源定盈は元は美濃源氏土岐が流にてありけり、定盈が四代の祖新三郞某後には信濃…
- p001…織部正源定盈は元は美濃源氏土岐が流にてありけり、定盈が四代の祖新三郞某後には信濃守始めて參河の國額田郡菅沼の地を領せし…
- p003…定盈が祖父新八郞其名つたはらず同國野田の城に移り住む、定盈父祖に繼き野…
- p003…定盈が祖父新八郞其名つたはらず同國野田の城に移り住む、定盈父祖に繼き野田の城に住して今川に屬す、永祿の初め今川上總介氏眞德川殿と中…
- p003…今川上總介氏眞德川殿と中たがひし、當國の住人、德川殿の御方に參る者多し、定盈又德川殿に組みし參らす、氏眞安からぬ事に思ひ、夜に乘して野田の城を襲ふ、…
- p003…又德川殿に組みし參らす、氏眞安からぬ事に思ひ、夜に乘して野田の城を襲ふ、定盈無勢に多勢叶ひ難く、一方打破て岡崎の城に參る、氏眞頓て駿河の國人等して城…
- p003…叶ひ難く、一方打破て岡崎の城に參る、氏眞頓て駿河の國人等して城を守らす、定盈程なく攻落して還り住む、同き八年當國の住人、悉皆德川殿に隨ひ參らせ、又遠…
- p003…年當國の住人、悉皆德川殿に隨ひ參らせ、又遠江國を併せられん事を議せらる、定盈謀り申す旨ありて、同き十一年の冬に至り、井伊谷刑部等の城を取てまゐらす、…
- p003…ばせ給ふ事大方ならず、頓て其賞行はれ十二月十二日遠江國に在る所の本領悉く定盈にぞ賜りける河合の郷幷に高部等の地也…
- p004…見附に陣取らせ給ひ、軍勢を分つて入山瀨に差向け、井伊谷の城攻め落さる此時定盈も刑部の城を落し己が侍菅沼又左衞門に守らせしといふ、…
- p005…向し、二股の城を攻め落す、東三河の國人等忽に心變して悉くに武田に與みす、定盈同次郞右衞門尉、二人ばかりぞ日頃の契を違へずして、德川殿の御爲に野田の城…
- p005…を取り、明れば天正元年正月十一日、野田の城に押寄せたり、德川殿かねてより定盈が加勢として、松平與一郞忠正を差向けらる、されども城中無勢にして籠る所の…
- p005…くに切り落しければ、味方俄かに水乏しく成て、士卒悉くに渴して死せんとす、定盈次郞右衞門尉と共に自ら首刎ねて、士卒の命に代らんと謀つて、かたきの陣に使…
- p005…らば賜はらんと答へ給ひ、作手段峯長篠の兵共が人質と、取替させ給ひしかば、定盈等は事故なくぞ歸りてける、…
- p007…幾程なくて武田入道死してければ、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻…
- p007…郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻めんとす山家三方の輩案內せしなり定盈城中より切て出で散々に戰ひて、敵あまた討取り手の者又討たれし事少からず、…
- p008…按するに定盈が功名の事、天正三年正月長篠の合戰に、酒井左衞門尉忠次に從ひ、鳶巢の要害…
- p009…慶長五年の秋東西の軍一時に起る、定盈御跡に留りて西城を守る西城留守居といふ子息志摩守定仍、海道より向ひ…
- p009…子息志摩守定仍、海道より向ひて駿河の國府興國寺等の城を守る、明れば六年定盈伊勢國長嶋の城賜て移る、二万石同き九年七月十八日六十三歲にて卒す、…
- p010…定芳は定盈が第三男たる由、創業記には見えたり、系圖を見るに定芳は二男にして外の男子…
田中 第十二上 · 1
- p006…中久兵衞吉興、御家人となされて二万石を給ふ、是も程なく死す、子なけれは、菅沼織部正定盈の二男して家つがす、主殿頭定官といふ、定官又罪蒙ることありて所帶を沒收せ…
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