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鍋島直茂
本文表記 直茂・信生・加賀守直茂・左衞門大夫信生・加賀守藤原直茂・鍋嶋父子・鍋嶋・鍋島
鍋島 第八上 · 50
- p001…加賀守藤原直茂は、鎭守府將軍秀鄕九代の孫、鎭西の奉行筑前守資賴が嫡孫太宰少貳經資が後胤…
- p001…り、經資より十一代、太宰大貳致賴が二男經直が孫、鍋島平右衞門尉茂尙、これ加賀守直茂が祖父なり、初め享祿三年、肥前の國佐賀の郡の地頭、龍造寺山城守家兼、太宰…
- p002…駿河守清房、男子二人を設く、兄は豊前守信房、弟は加賀守直茂なり、直茂初は左衞門大夫信生と名乘る、直茂等が外祖豊後守家純、父家兼に先…
- p002…駿河守清房、男子二人を設く、兄は豊前守信房、弟は加賀守直茂なり、直茂初は左衞門大夫信生と名乘る、直茂等が外祖豊後守家純、父家兼に先立て卒す、…
- p002…駿河守清房、男子二人を設く、兄は豊前守信房、弟は加賀守直茂なり、直茂初は左衞門大夫信生と名乘る、直茂等が外祖豊後守家純、父家兼に先立て卒す、家兼入道剛忠卒せし…
- p002…く、兄は豊前守信房、弟は加賀守直茂なり、直茂初は左衞門大夫信生と名乘る、直茂等が外祖豊後守家純、父家兼に先立て卒す、家兼入道剛忠卒せし時、二男和泉守…
- p002…ば、かく計ひし所なり、さのみな怪み給ひそとて、清房が妻となりし上は、信房信生、隆信が兄弟とは成てけり、從弟違ひにて世に云ふ行逢兄弟なり永祿六年…
- p002…、千葉胤連と軍す、隆信軍勢ひきゐて、千葉を助く、この胤連と申すは、むかし左衞門大夫信生が稚き時、養ひし人なれば、信生其恩に報ぜんが爲め、眞先に進み戰つて、敵の…
- p002…を助く、この胤連と申すは、むかし左衞門大夫信生が稚き時、養ひし人なれば、信生其恩に報ぜんが爲め、眞先に進み戰つて、敵の勢を打破る、信生時に廿六歲…
- p002…し人なれば、信生其恩に報ぜんが爲め、眞先に進み戰つて、敵の勢を打破る、信生時に廿六歲これ功名の始か元龜元年の春、大友左衞門督義鎭入道宗麟、隆信…
- p002…騎を引率して、肥前の國に向ふ、同き四月廿三日、隆信高尾に出で向つて戰ふ、信生が謀、勇々しくして、手合の戰に、勝軍す、されども、敵は目に餘る多勢なれば…
- p002…日既に佐賀の城を攻めんとす、龍造寺が家、滅ぶべきこと、此時に極りぬ、此夜左衞門大夫信生、隆信を勸めて、親貞が陣に夜討せしめ、おのが手勢十七騎にて、先を懸け、隆…
- p003…信生人に語りしは、此夜大友が陣に忍び入て、相圖の時を待ちし程に、彼が杏葉の紋…
- p004…明れば二年、信生、小早川左衞門尉隆景と謀て、隆信が使となつて、公方義昭に參て、鎭西追討の…
- p004…が使となつて、公方義昭に參て、鎭西追討の事を望みしかば、頓て御許を蒙り、信生又飛驒守になさる、隆信武命承り、違犯の國々追討し、武威鎭西に震ひし事、こ…
- p004…る、隆信武命承り、違犯の國々追討し、武威鎭西に震ひし事、これ然しながら、信生が功とぞ聞えける、小早川隆景、此時初て信生に對面し、信生の名譽、兼ても承…
- p004…西に震ひし事、これ然しながら、信生が功とぞ聞えける、小早川隆景、此時初て信生に對面し、信生の名譽、兼ても承り及ふ所なり、毛利龍造寺兩家の好み、結ぶべ…
- p004…これ然しながら、信生が功とぞ聞えける、小早川隆景、此時初て信生に對面し、信生の名譽、兼ても承り及ふ所なり、毛利龍造寺兩家の好み、結ぶべき見參のしるし…
- p004…家の好み、結ぶべき見參のしるしに候とて、肥前の國養父郡三百町の地を以て、信生にこそ與へけれ、されど良藥口に苦く、忠言耳に逆ふ習にて、いつしか隆信おの…
- p004…、忠言耳に逆ふ習にて、いつしか隆信おのが權威につのり、自らの武勇を賴み、信生が事に觸れて常に諫言を奉る事を厭ひ思ふ心づき、上には彼が功を貴ふ樣に見え…
- p004…諫言を奉る事を厭ひ思ふ心づき、上には彼が功を貴ふ樣に見えしかども、內々は信生を遠ざけぬべき謀事にて、天正七年、筑後の國柳川の城を構へ、彼の國を鎭めよ…
- p004…けぬべき謀事にて、天正七年、筑後の國柳川の城を構へ、彼の國を鎭めよとて、信生に賜りたり、これ隆信が亡ぶべき端となるこそ、うたてけれ、同き十年六月、信…
- p004…生に賜りたり、これ隆信が亡ぶべき端となるこそ、うたてけれ、同き十年六月、信生、織田殿父子討れ給ひぬと聞て、天下必ず秀吉に歸すべき事を知りて、遙々使者…
- p004…龍造寺記に見ゆ、この石田誰にやいまだ其人を知らず、同き十二年隆信、信生が謀を用ゐずして、同國有馬を伐んとて、自ら五萬餘騎を引具し、高來郡に發向…
- p004…家、いまだ幼きまゝ、龍造寺が家、既に亡ひんとす、家子郞等、相謀りて、急き信生を佐賀の城に迎へ入れ、權に國中の事を行はしむ、信生佐賀に在りと聞て、敵續…
- p004…子郞等、相謀りて、急き信生を佐賀の城に迎へ入れ、權に國中の事を行はしむ、信生佐賀に在りと聞て、敵續て國中に攻め入る事を得ず、信生叔父の親に因つて、幼…
- p004…國中の事を行はしむ、信生佐賀に在りと聞て、敵續て國中に攻め入る事を得ず、信生叔父の親に因つて、幼主を助けて、自ら加賀守直茂と改め名のる、如何にもして…
- p004…、敵續て國中に攻め入る事を得ず、信生叔父の親に因つて、幼主を助けて、自ら加賀守直茂と改め名のる、如何にもして隆信が仇を報せんとて、常に關白秀吉に使を奉り、…
- p004…報せんとて、常に關白秀吉に使を奉り、九州違命の輩、御誅伐あらんには、政家直茂、先陣を承るべしと望みけり、同き十五年、關白嶋津を退治のため、筑紫の地に…
- p004…しと望みけり、同き十五年、關白嶋津を退治のため、筑紫の地に渡り給ひし時、直茂政家と共に、最初に御陣に馳せ參り、先陣を給る、直茂、年ころの素懷を達すべ…
- p004…紫の地に渡り給ひし時、直茂政家と共に、最初に御陣に馳せ參り、先陣を給る、直茂、年ころの素懷を達すべき事、此時に在りと、悅ぶこと限りなく、眞先かけて、…
- p004…津遂に戰ひ負け、降人になつて參りしかば、九州二嶋悉く平均に屬したり、政家直茂、龍造寺が本領たぶ、政家いまだ年若し、直茂政務を沙汰すべきよしの仰を承る…
- p004…州二嶋悉く平均に屬したり、政家直茂、龍造寺が本領たぶ、政家いまだ年若し、直茂政務を沙汰すべきよしの仰を承る、其後政家が家絕えて直茂自ら國に當る、…
- p004…政家いまだ年若し、直茂政務を沙汰すべきよしの仰を承る、其後政家が家絕えて直茂自ら國に當る、…
- p005…政家此後四位の侍從に至り、程なく卒す、政家が三男駿河守高房をば、直茂養て子とせしが、それも二十六歲にて世を早うす、高房が子季明訴ふる事ありて…
- p006…文祿の初より、朝鮮の事起る、直茂加藤主計頭清正と共に、先陣を承り、王城に攻め入て、咸鏡道を打從へ、和親の…
- p006…、王城に攻め入て、咸鏡道を打從へ、和親の事、破れし後、再び軍起りしには、直茂太閤に召され、蜂須賀阿波守家政、安國寺惠瓊と三人、同じく朝鮮の軍奉行を承…
- p006…、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、物さわがしく、既に軍起らんとす、直茂最初に伏見に來て、德川殿の御舘を守護す、德川殿悅び給ふこと、淺からず、直…
- p006…茂最初に伏見に來て、德川殿の御舘を守護す、德川殿悅び給ふこと、淺からず、直茂申けるは、このたびの事は、さておきぬ、直茂が死したらん後に至るまで、永く…
- p006…德川殿悅び給ふこと、淺からず、直茂申けるは、このたびの事は、さておきぬ、直茂が死したらん後に至るまで、永く子孫に庭訓を遺し、直茂が家を以て、殿の御家…
- p006…の事は、さておきぬ、直茂が死したらん後に至るまで、永く子孫に庭訓を遺し、直茂が家を以て、殿の御家と同じく亡ぶべきにて候、恐れある申事には候へども、殿…
- p006…る申事には候へども、殿にも此由を以て、御子孫に仰せ傳へられ給はらんには、直茂が幸、何事かこれに過ぎ候べきと望みければ德川殿大に感じ給ひ、中納言にも、…
- p006…る、明れば慶長五年の秋、奧の景勝、御退治のため、御下向ありと聞えければ、直茂が子息信濃守勝茂、軍勢を催し、御跡を慕うて馳せ下る、かゝる所に石田三成、…
- p006…道より攻め下りて、伊勢の國安濃津の城をも落して、同國松坂の城を攻む、親父直茂、本國に在つて、この由を聞き、大に驚き、下村左馬助を以て勝茂が許に使とし…
- p006…御心に任せらるべうもや候ふ、君はいまだ御年廿一歲にならせ給へば、德川殿、直茂の御契を思召し出されなば、如何で寬宥の御沙汰もなかるべきとて、甲斐彌左衞…
- p006…政の計ひにて、罪なだめられん事を望む、年頃長政の父如水入道、勝茂か父直茂と親しかりければなり、長政久納が志の程を感じ、井伊兵部少輔直政と相議り…
- p006…、井伊兵部少輔直政と相議りて、此由をかくと申す、德川殿聞召し、家康彼が父直茂と約せし事あり、如何で其約に違はんやとて、立所に罪ゆるされ、勝茂を御陣に…
- p006…さる、立花左近將監宗茂が居城なり、勝茂大に悅び、本國に馳せ歸り、父直茂と共に佐賀の城を打立ち、まづ久留米の城を降して、侍從秀包が居城なり、…
- p006…押合せ、薩摩の國に發向す、嶋津また降を乞ひぬれば、戰ふに及ばず引返へす、鍋嶋父子、柳川にて打取る所の首六百餘、德川殿に參らせければ、御書を賜て、其功を賞…
- p006…軍勢は、嶋津が船出さざらん程は參るべからずと仰せ下されしに依つて參らず、加賀守直茂、八十一歲にて、元和四年六月三日に卒す、信濃守勝茂家を繼き、寛永三年八月…
蜂須賀 第八上 · 1
- p006…に押渡り戰ふ事凡そ七年、中にも大明の和親、破れて再び朝鮮に攻め入りし時、鍋嶋安國寺と三人、同じく軍の奉行を承る、太閤薨じ給ひ、慶長五年の秋、德川殿、…
加藤 第十二上 · 1
- p007…西攝津守か城也筑後國柳川の城に向ひ立花左近將監宗茂を味方になし、黑田鍋島立花と共に薩摩の國に發向す、關東の御下知に依つて戰に及はず、軍をば返す兼…
古田 第十二下 · 1
- p001…に押寄す、此城元より究竟の要害、容易く攻め落さるべうも見えず、又勝茂が父加賀守直茂が許より使來て、勝茂を堅く制しければ只遠攻にして日數を送る、關が原の味方…
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