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高台院
本文表記 政所・北政所・豐臣太閤家政所
淺野 第七上 · 3
木下 第十上 · 6
- p001…後守豐臣家定は、尾張國の住人杉原平入道道松助左衞門が男、豐臣太閤家北政所の御兄なり、年若き時より豐臣家へ仕へ、家號を賜て木下とは名乘りけり、大坂…
- p001…として、兼て伏見の城の留守として本城に在り、勝俊心に思ひけるは、秀賴誠は政所の御子にあらずと云へども、我既に叔父の親みなり、如何なる事なりとも內府の…
- p001…斯くて在らんには、內府の家人等、軍せん障りとこそなるべけれ、所詮爰を去て政所の御所を守護し參らすべしとて、伏見の城を出て都に登る、天下忽に德川殿に歸…
- p001…肥後の入道が卒せし後、德川殿彼が所領の地、勝俊利房兄弟に分ち賜ふ、然るに政所勝俊を、あながちに憐み思ひ給ひ、父の所領悉く勝俊に知行させんとて、利房に…
- p003…長五年の秋、大坂の催促に隨ひて北陸道に發向す、天下悉く德川殿に歸して後、政所の御由緣に依て、死罪をば宥められ、所領をば沒收せらる、父の入道卒せし後、…
- p003…沒收せらる、父の入道卒せし後、其遺領を分ち、舍兄勝俊幷に利房に下し賜ふ、政所偏に勝俊にのみ與へんとて、利房には分たれず、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺…
金吾 第十二上 · 6
- p001…は隆景中納言に任せし事みえず實は木下肥後守家定が四男、豐臣太閤家北政所の御甥なり、初め北政所みつからの御子なき事を深く歎き給ひしかば、この中納…
- p001…し事みえず實は木下肥後守家定が四男、豐臣太閤家北政所の御甥なり、初め北政所みつからの御子なき事を深く歎き給ひしかば、この中納言のいまだ幼き時、童…
- p003…こそ申さるべけれとありけれは、尼前承りて此上は內府の御計ひこそ候べけれ、政所の御方へも其由を申すべきにて候と申て罷出づ、德川殿秀秋に向ひ給ひ、たゞ兎…
- p003…殿秀秋に向ひ給ひ、たゞ兎にもかくにも仰に隨ひ給はん事こそあらまほしけれ、政所の歎かせ給はんには、太閤もさのみは心强くはおはせじものをと仰ければ、さら…
- p007…て城を貸さず、秀秋大に怒て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政所聞召して…
- p007…都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政所聞召して大坂の兵伏見の城攻めらるべしと聞ゆ、和君が兄の宰相これ勝俊の事…
杉原 第十二下 · 3
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