f166.p001校訂82R:14–1482L:1–6市正藤原利重は、大相國家に仕へ奉て大番の頭に至る此家いづれの流にやいまだ知らず又歷任の事も定かならす左大臣家の御時始て寺社奉行職を置かれ、利重堀式部少輔直之と二人其事を司り其後御奏者の事を承る常陸新治郡近江淺井郡安房長狹郡上總望陀郡等の地にして所領賜ひぬ、一万二千石を領す、常陸の玉取と云ふ所に住せしなり卒せし年月知らず其男越中守利昌家を繼ぎ、後に政長とあらためたり万治元年十月十二日五十八歲にして卒す、子なかりしかば天方主馬倶通が男彌太郞通周養て世嗣とす、通周利昌が家を繼ぎ寛文三年十二月叙爵して市正に任す、延寶七年の十二月十一日罪蒙りて所領沒收せられぬ、子息主稅に三千石を給ふといふなり