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奥平忠政
본문 표기 忠政・攝津守殿・松平攝津守忠政・松平飛驒守・菅沼忠七郞・松平攝津守・忠七郞殿・菅沼忠七郞殿・攝津守忠政
井伊 第四上 · 1
- p009…伊賀の筒井が傳別にあり新領收公せらし時、伊勢本多美濃守美濃松平飛驒守の人々と彼國に向ひ、直勝は留りて上野の城を守る、此人天性身の煩ひ多くし…
大久保 第四中 · 2
奧平 第六 · 13
- p007…いふ事を知らず此人は不幸にて文祿元年三月四日、十四歲にて卒せらる、三男松平攝津守忠政は、文祿四年一說に元年五月十六歲にて、中納言殿台德院殿の御事…
- p007…十六歲にて、中納言殿台德院殿の御事の御前にて元服し、御諱字給る、忠七郞殿と申す按ずるに家忠日記に載する所かくの如くなれども、弟の忠明文祿元年に…
- p007…に載する所かくの如くなれども、弟の忠明文祿元年に元服すと有て、兄の忠政文祿四年に元服とのせし事、心得がたし、慶長二年菅沼小大膳定利が嗣とな…
- p007…小大膳定利が嗣となり、上野國吉井の地を領せらる、二万石、これよりして菅沼忠七郞殿と申す、同き五年の秋、石田等が兵起し時、中納言殿の御供して、山道をのぼ…등록부 菅沼忠七郞=松平忠明(f026)과 다름. 菅沼定利 양자는 忠政
- p007…等が兵起し時、中納言殿の御供して、山道をのぼり、信濃の上田の城を攻めて、忠政只一手にて搦手を攻破る、双なき高名とぞ聞えける、同き七年に御家號を給ひ、…
- p007…にて四萬石を給ふと云ふ、本領共に六萬石を領せしにや、十九年十月二日、忠政三十五歲にて卒せらる、四男松平下總守忠明なり、忠明文祿元年十二月一說…
- p007…は、別に宇都宮城賜て、嫡孫其家を繼く、二男右京大夫家治には世嗣なし、三男攝津守忠政の男ありければ、其孫に加納の城をば給りけり、十萬石忠政の男をも忠七…
- p007…、三男攝津守忠政の男ありければ、其孫に加納の城をば給りけり、十萬石忠政の男をも忠七郞と申す、御諱字給て、忠隆と名のる、忠隆七歲にて父にわかれ、…
- p008…世に傳ふる所は、美作守信昌の家を攝津守殿繼せ給ひ、攝津守殿失給ひて、飛驒守殿其跡をつがせ給ひしといふ、されど攝津…
- p008…世に傳ふる所は、美作守信昌の家を攝津守殿繼せ給ひ、攝津守殿失給ひて、飛驒守殿其跡をつがせ給ひしといふ、されど攝津守殿うせ玉ひしは御…
- p008…守殿繼せ給ひ、攝津守殿失給ひて、飛驒守殿其跡をつがせ給ひしといふ、されど攝津守殿うせ玉ひしは御父信昌より先の事なれば、不審なり、但し信昌致仕して加納城を…
- p008…うせ玉ひしは御父信昌より先の事なれば、不審なり、但し信昌致仕して加納城を攝津守殿に讓りしにや、其事は正しき實記には見えず、…
- p012…駿河に來て、大坂の兵起る由を申す、また美濃國加納の城よりも飛脚到來して、松平攝津守忠政去る二日に卒すと申ければ、舍弟なれば下總守忠明、加納の軍勢を引具して、大…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히