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安房国
본문 표기 安房國・安房・房州・安房の國
西郷 第四下 · 3
太田 第六 · 2
里見 第十二上 · 14
- p001…父家基も討たれぬと聞えしかば、義實三浦本曾堀内等引具して、小船に取り乘て安房國に落ち行く、義實時に廿七歲又廿一歲とも云ふ也此時安房國の住人神餘が…
- p001…船に取り乘て安房國に落ち行く、義實時に廿七歲又廿一歲とも云ふ也此時安房國の住人神餘が郞等山下左衞門尉、おのが主滅して神餘の地を押領す、同國の住人…
- p001…弓の絃ばづして、降人となつて出づ、義實安西を案內者として東條を討ち滅し、安房國を打平け白濱の城を搆へて住む義實七十三歲にて長享元年四月七日死…
- p002…接ずるに世に傳ふる所は、義實初め安房國に至り安西三郞が許に在り、安西が爲に神餘丸東條を討ち平く、安西後に義實を…
- p002…丸東條を討ち平く、安西後に義實を失はんとせしに因つて、大に怒り安西を亡し安房國を領す、これ明應五年十一月の事なり、明れば六年上總國丸谷上總介をも打滅し…
- p003…其子刑部大輔成義、上總の國に發向し先づ萩生の城を落し、國人等を打從へ終に安房上總兩國を合はせ領す、其子上總介義通、上總國久保田の城に在り、義通が卒せ…
- p003…軍起して義豊と戰ひ、明れば三年四月六日終に稻村の城を攻め落し、義豊を討て安房上總を領し、御弓の御所の味方として御弓の御所と申せしは古河公方晴氏の…
- p003…、天正五年義弘北條互に中直りす、明る六年の五月義弘卒す、嫡子太郞義賴には安房國、次男梅王丸には上總國を讓る、太郞義賴父死して後、上總の國佐貫の城を襲ひ…
- p003…本の城に住す、天正九年里見北條又不快となつて、氏政が多勢海陸二手に分れて安房上總に亂れ入る、舘山久留里佐貫の城を攻め遂に椎津廳南久保田萬喜の城を落し…
- p003…が多勢侍大將十一人といふ姓名又勢のほど定かならず上總の國を打從へ、安房の國へ攻め入らんとす、義康自ら久留里の城に出て向て敵を待つ、此城究竟の要害な…
- p003…たりけれ、城中の兵打出て戰はんとす、義康堅く制して戰はず、寄手又爰を過て安房の國に入ることを得ず、かくて十八年に至て、豐臣關白北條うたるべしとて、天下の…
- p003…が早く御陣に馳せ參らせざる事を怒り給ひ上總下總の地收公せられ、本領なれば安房國を賜ふ、九萬二千石なり其後豊臣の姓賜ひて四位侍從兼安房守になされ朝…
- p003…守忠隣が緣座に因て伯耆國に流され、元和八年六月十九日に死してけり、里見房州を領せし事十代凡百七十年にして亡ふといふ…
- p004…に公儀を蔑如し憲法を犯す上は、私の謀ある故かと云々、此箇條の御不審に依て安房國をば收公せられ、常陸國鹿島郡三万石の替地として、伯耆國倉吉の地給はるべし…
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