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小早川秀秋
본문 표기 秀秋・金吾中納言秀秋・中納言・金吾殿・筑前中納言秀秋・中納言豐臣秀秋・辰之助・此人・金吾中納言・金吾秀秋
井伊 第四上 · 1
- p008…又石田が澤山の城を攻らるべき先陣を給ふ、金吾中納言秀秋强ちに望まれしかば、直政二陣に定められ、城をば終に攻破る、かくて國々の御…
稻葉 第六 · 6
- p003…正成筑前中納言秀秋に仕へて、彼家の老となり、受領して佐渡守に任す、關が原の軍に、秀秋に隨て…
- p003…中納言秀秋に仕へて、彼家の老となり、受領して佐渡守に任す、關が原の軍に、秀秋に隨て、關東の御方なり、…
- p004…家忠日記追加を考ふるに、此時に正成、村越茂助につきて、此度秀秋が御方たりし事、某が計らひたるよしを申によつて、御書を給て賞せらると云々…
- p004…たりし事、某が計らひたるよしを申によつて、御書を給て賞せらると云々、但し秀秋の御方せしは初めより故ある事なり、精しく其傳に見ゆ、追加の說不審、…
- p005…其後正成、金吾家を去り、秀秋又卒して嗣なくして家亡ひ、正成御家人となされ、內匠頭に成る、本多佐渡守…
- p005…內匠頭に成る、本多佐渡守を避けしといふ、二万石を賜ひしといふ按ずるに秀秋の家にては、寄騎共に四万石といふ、大坂の合戰に首廿七切て獻る、後に越前…
堀田 第六 · 1
- p001…が子孫右衞門尉正貞が子勘左衞門尉正利は、加賀守正盛が父なりけり、正利初め金吾中納言秀秋家に仕へ五百石を領せり、稻葉佐渡守正成が娘を妻とす、正成金吾家を去…
木下 第十上 · 2
金吾 第十二上 · 48
- p001…中納言豐臣秀秋は、小早川左衞門督大江隆景の世嗣なり隆景をば三原中納言と申せし也公卿…
- p001…政所の御甥なり、初め北政所みつからの御子なき事を深く歎き給ひしかば、この中納言のいまだ幼き時、童名は辰之助太閤の御幼君となされ御寵愛淺からず、天…
- p001…らの御子なき事を深く歎き給ひしかば、この中納言のいまだ幼き時、童名は辰之助太閤の御幼君となされ御寵愛淺からず、天正十九年の春隆景が望み申すに依て…
- p001…ず、天正十九年の春隆景が望み申すに依て、其嗣にはなされてけり、抑も隆景が此人を養て子とせしこと、其謂れありとぞ聞えたる、隆景が甥毛利右馬頭輝元が世嗣…
- p001…中にして二郡つゞの地を下し給ふ、吾が齡既に傾きぬ此恩に報い奉らん日なし、秀秋に國讓り參らせ隆景は山陽の內にして老い養ふべき程の地賜て、籠り居てさふら…
- p001…落す、其勸賞に從三位の中納言して慶長二年六月十二日年六十三歲にて薨じぬ、秀秋隆景が家を繼て中納言になさる、…
- p002…秀秋を金吾中納言と云ひしは左衞門督の子たるに因るとも、又秀秋もと左衞門督たり…
- p002…秀秋を金吾中納言と云ひしは左衞門督の子たるに因るとも、又秀秋もと左衞門督たりし故に、初め…
- p002…秀秋を金吾中納言と云ひしは左衞門督の子たるに因るとも、又秀秋もと左衞門督たりし故に、初めより金吾殿と云ひしともいふ、後の說然るべきか…
- p002…ひしは左衞門督の子たるに因るとも、又秀秋もと左衞門督たりし故に、初めより金吾殿と云ひしともいふ、後の說然るべきか、…
- p003…此年二月いまだ隆景が薨ぜざりし內、秀秋廿三歲にして朝鮮を討たん大將軍を承て、宗徒の大名あまた引具し、都合其勢拾…
- p003…鮮に押渡り釜山の城に入る、明れば慶長三年正月四日蔚山の後卷し眞先に進み、秀秋が手にかけて馬武者十三騎切つて落す、凡そ討取る所の首一万三千二百三十八、…
- p003…、太閤軍のやうを聞召して御感斜ならず、石田治部少輔三成密かに申しけるは、金吾殿の御振舞ひ誠にゆゝしうも聞えさせ給ふ、去ながら既に御代官として向はせ給ひ…
- p003…る旨を仰せ下さるべうもや候はんと申ければ、太閤實にもと思召す御氣色にて、秀秋が功を賞し給はず、秀秋太閤の仰蒙て城を築くこと九箇所、軍勢を籠め置て同三…
- p003…や候はんと申ければ、太閤實にもと思召す御氣色にて、秀秋が功を賞し給はず、秀秋太閤の仰蒙て城を築くこと九箇所、軍勢を籠め置て同三月十七日釜山の港に船を…
- p003…十七日釜山の港に船を泛へ四月四日大坂に着き、明れば五日伏見の城に參らる、秀秋に隨ふ所の七人の軍奉行、幷に加藤左馬助嘉明同じく參る、伏見に在合ふ大名悉…
- p003…人の軍奉行、幷に加藤左馬助嘉明同じく參る、伏見に在合ふ大名悉く參り集ひ、秀秋の凱陣を賀し申さる、太閤やがて御出ありて御對面訖つて後、太田飛驒守一正秀…
- p003…秋の凱陣を賀し申さる、太閤やがて御出ありて御對面訖つて後、太田飛驒守一正秀秋の軍し給ひしやう、一々に陳じて感じ申す、太閤いや〱大將軍の自ら諸軍と功を…
- p003…閤いや〱大將軍の自ら諸軍と功を爭つて輕々しき軍せんこと然るべからず、我れ秀秋を差向けしこと返す〱も後悔に及びきと仰せらる、秀秋聞きもあへず、よの常の…
- p003…こと然るべからず、我れ秀秋を差向けしこと返す〱も後悔に及びきと仰せらる、秀秋聞きもあへず、よの常の御使ならんには幼弱の身など辭し申さではあるべき、追…
- p003…仰をば承れ、然るに今人々の聞き給ふ所にて、御後悔の旨を承るこそ口惜けれ、秀秋が不覺の事あらんには、軍奉行の人々只今御前にて眞直に申し、速に秀秋が首を…
- p003…けれ、秀秋が不覺の事あらんには、軍奉行の人々只今御前にて眞直に申し、速に秀秋が首を召されて御憤を散ぜられんやうには計らふべしと、押返し〱申されしかば…
- p003…押返し〱申されしかば太閤御座を御立あつて內に入らせ給ふ、治部少輔三成參て秀秋が老杉原下野守山口玄蕃允に向ひ、大殿の御氣色よからず先づ御館に歸し入らせ…
- p003…蕃允に向ひ、大殿の御氣色よからず先づ御館に歸し入らせ參らせらるべしといふ秀秋聞て、ゑや首打落さんずる氣色にて打刀とつて立つ、德川殿引き留め給ひ、兎か…
- p003…の至なり須らく早く筑前の國を返し奉りて、越前の地に移るべしとありければ、中納言大に怒て、やあ尼前秀秋が身に國奪はれん罪覺なし、命あらん限は只もとの儘に…
- p003…國を返し奉りて、越前の地に移るべしとありければ、中納言大に怒て、やあ尼前秀秋が身に國奪はれん罪覺なし、命あらん限は只もとの儘にこそあるべけれ、速に首…
- p003…計ひこそ候べけれ、政所の御方へも其由を申すべきにて候と申て罷出づ、德川殿秀秋に向ひ給ひ、たゞ兎にもかくにも仰に隨ひ給はん事こそあらまほしけれ、政所の…
- p003…歎かせ給はんには、太閤もさのみは心强くはおはせじものをと仰ければ、さらば秀秋みづから三成が首切て後、內府の仰にこそ任せ候はめと申さる、德川殿も今は强…
- p003…に下さるべしと仰ければ、外樣の侍少々を差下す、斯て德川殿大納言利家と共に秀秋の事御歎あらんとありしかども、利家辭し申さる、德川殿は日毎に太閤に參り給…
- p003…ひ、仰せ出さるゝ旨もなし、太閤如何にかくは毎日見え給ふやらんと仰ければ、秀秋の國移されんこと痛はしう覺えて、此由申さんとて參り候へども、えこそ申し出…
- p003…ひ給はんには、內府の計ひに任せまゐらすべしと仰ければ、德川殿悅ばせ給ひて秀秋の許に向ひ給ひ、杉原山口召して越前に下りし侍共召返さる、…
- p004…此時秀秋には越前北庄の地十六万石を賜ふべし、山口には別に加賀國大聖寺の城を賜て秀…
- p004…秋には越前北庄の地十六万石を賜ふべし、山口には別に加賀國大聖寺の城を賜て秀秋の後見すべしとありき、是に依て秀秋元の儘に筑前の國を領しけれども、山口に…
- p004…し、山口には別に加賀國大聖寺の城を賜て秀秋の後見すべしとありき、是に依て秀秋元の儘に筑前の國を領しけれども、山口には此時より太閤の御家人になされしな…
- p005…程なく六月二日に德川殿秀秋と打連れ參らせ給へば、太閤御對面あつて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜ひ…
- p005…月二日に德川殿秀秋と打連れ參らせ給へば、太閤御對面あつて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜ひ安宅貞宗の刀吉光の脇差大盤若捨子等の茶壺鷹二連黃金千枚等…
- p005…壺鷹二連黃金千枚等なり德川殿にも引出物ひかる、光忠の刀黃金三百枚秀秋この日長崎伊豆守を德川殿へ使として、此度の御芳恩いづれの時にか忘れ候べき…
- p006…秀秋越前に徒されんとせし事の終始は、大河内秀元が朝鮮物語に詳かなり、世の人詳…
- p007…太閤薨し給ひ同き五年の秋、德川殿奧の上杉追討のため御下向ありしかば、秀秋も急き軍勢を催して奧に下らんとて本國を打立つ、大坂の軍また起りて諸國の軍…
- p007…催して奧に下らんとて本國を打立つ、大坂の軍また起りて諸國の軍勢を催促す、秀秋德川殿の芳恩を報ぜんこと此時にありと思ひしかば、舍兄木下右衞門大夫延俊が…
- p007…岡備前入道道阿彌に就きて此由を關東に申せしに、舍兄延俊あへて城を貸さず、秀秋大に怒て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、…
- p007…大に怒て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政所聞召して大坂の兵伏見の城攻…
- p007…て、爰にて軍起さんこと然るべからずとて返し給ひしに、勝俊伏見の城を出づ、秀秋この上は伏見の城に入て東國の御勢と共に立籠り內府を待つけ參らすべしとて、…
- p007…關東に下しかくと申す、伊與田彌右衞門といふ郞等を下せしとあり秀秋力及はず家人平岡石見守して黑田甲斐守長政に就きて平岡は黑田如水入…
- p007…つべしと思ひしに城悉く燒かれぬ、斯て上方の軍勢東山東海北陸より攻め下る、秀秋も急き發向あるべしと催促度々に及ふ、或は伏見にて手負し兵を助け、或は本國…
- p007…て忽ち敗れ失せにけり、軍終て後、德川殿の御陣に參られしかば、御悅斜ならず秀秋また佐和山の先陣を望まる、同十七日爰をも攻め破つて石田が一族悉くに誅せら…
- p007…七日爰をも攻め破つて石田が一族悉くに誅せられぬ、茲年十一月勸賞行はる先づ秀秋に備前備中美作三箇國をぞ賜はりける、七十二万石を領す本領は三十三万六…
- p007…領す本領は三十三万六千四十石なりしと云ふ幾程なくて同き七年十月十八日秀秋廿八歲にて世を早うし給ひて、世嗣なければ家絕えぬ…
平岡 第十二下 · 5
- p001…石見守藤原重定は金吾中納言秀秋が家の老なり、…
- p002…にて終に卒して河野が家は絕えたり、是より平岡小早川が家に仕へしなるべし、秀秋は隆景が養子なり、…
- p003…慶長五年の秋東西の軍一時に起る、金吾秀秋は初より無二の東國方にてありけり、家の老石見守重定は三万石を領せしと…
- p003…、重ねて重定が舍弟出羽守某を、東國に質として參らす、美濃の國關が原の戰に秀秋裏切りして、上方の軍をかけ破り、その勸賞に備前備中美作の地を賜はる、幾程…
- p003…して、上方の軍をかけ破り、その勸賞に備前備中美作の地を賜はる、幾程なくて秀秋卒し世嗣なくして、家絕えぬ、大御所やがて石見守重定を御家人に召出され、美…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히