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島津義弘
본문 표기 嶋津・義弘・兵庫頭義弘・入道・兵庫入道・嶋津兄弟・嶋津兵庫入道・嶋津兵庫入道惟新・惟新・石曼子・兵庫入道惟新・島津兵庫頭忠平・島津兄弟・島津兵庫頭義弘・嶋津兵庫入道義弘
水野 第三 · 1
- p005…上りて、軍勢を催し、先陣に馳せ加り、美濃國に赴きて、曾根の古城を守りて、嶋津兵庫入道と戰ひ、大柿の城を攻めて、攻くたす、此後刈屋城を領し、三万石なり…
本多 第四上 · 2
井伊 第四上 · 8
- p006…れば、打破り駈け通つて、守殿と一所に馬を立て、息つき居たり、かゝる處に、嶋津兵庫入道惟新、負軍して、千人斗り、のけ甲になつて、馬を靜めて落ちて行く、直政が士、嶋…
- p006…新、負軍して、千人斗り、のけ甲になつて、馬を靜めて落ちて行く、直政が士、嶋津こそ通れといふ、直政あれば、御方がと問ふ、こゝを通る敵の事に候と、いひも…
- p006…敵の事に候と、いひもあへぬに、直政馬を馳て追かく、守殿も續きて駈け給ふ、嶋津が兵、取て返し戰ふ、守殿組打して御手負はれ、直政も鐵炮に中りて馬より落つ…
- p006…兵、取て返し戰ふ、守殿組打して御手負はれ、直政も鐵炮に中りて馬より落つ、嶋津も終に逃れてけり、守殿も直政も、手深からねば、御供して御陣に參る、德川殿…
- p007…此日敵悉くに敗る、嶋津希有に命のがれ落行く、直政はしめより入道と見けれども、守殿の御供はしつ、…
- p007…此日敵悉くに敗る、嶋津希有に命のがれ落行く、直政はしめより入道と見けれども、守殿の御供はしつ、繼く御方もなし、入道壹人が生き延びたれば…
- p007…行く、直政はしめより入道と見けれども、守殿の御供はしつ、繼く御方もなし、入道壹人が生き延びたればとて、何程の事か有べき、若し止めんとて、多からぬ御供…
- p007…直政が士、骨法なしと人みな瓜彈きしたるとなり、又直政を鐵炮にて打ちしは、嶋津が家人河上四郞兵衞忠允が若黨柏木源藏といひし者なり、おのが主河上が打たる…
嶋津 第八上 · 25
- p002…廿日初て御出仕あり、この年月の御好みに因て、慶長五年の秋、關が原の戰に、嶋津打負けて本國に返りし時、彼が從類を御所の內に深く匿し置かせ給ひしなり、嶋…
- p003…、豐後の國に落行く、貴久やがて當國の守護となる、其嫡男修理大夫義久、二男兵庫頭義弘、三男左衞門尉歲久、四男中務大輔家久とぞ申ける、嫡男義久、家を繼き、大隅…
- p003…久續きて府內の地に亂れ入る、大友高崎にも怺へかね、龍王の城へ落ち去りぬ、兵庫頭義弘、肥後の國を經て發向し、大友が城々、悉くに攻落す、毛利右馬頭輝元、此由を…
- p003…に、鎭西の國人等、冑を脫ぎ、弓を伏せ、降人になつて參る者、引きも切らず、嶋津兄弟、戰ひ疲れたる少勢にて、多勢のかたきと、此處彼處に戰ひ、散〱に打なされて…
- p003…面ありて、御氣色殊に宜しく、大隅薩摩兩國安堵の事、仰せ下さる、義久が舍弟義弘、歲久家久を始として、宗徒の家人郞等、みな見參に入る別の仰ありて、大隅…
- p003…、みな見參に入る別の仰ありて、大隅七郡日向二郡の地を分ちて、兵庫頭義弘父子、幷家人伊集院新納等に下し賜はる、九州二嶋悉く平均に屬しければ、關白…
- p003…にぞ參りける、十六年の冬、肥後の國人等、當國の守護佐々陸奧守成政に叛く、兵庫頭義弘、關白の仰を承て、軍勢を引具し馳向ふ、明れば十七年二月、國人等御下知に從…
- p003…く討れしかど、終に顯輝をば討つてけり、其後、義久入道、三位法印になされ、義弘四位の侍從になさる、義弘、また入道して、惟新と號し、子息忠恒、又侍從兼陸…
- p003…ば討つてけり、其後、義久入道、三位法印になされ、義弘四位の侍從になさる、義弘、また入道して、惟新と號し、子息忠恒、又侍從兼陸奧守になさる、秀吉後に…
- p003…義久入道、三位法印になされ、義弘四位の侍從になさる、義弘、また入道して、惟新と號し、子息忠恒、又侍從兼陸奧守になさる、秀吉後に攝州能勢郡五千石、同…
- p003…崎の庄三千貳百石そへて、一万石を賜ひしといふ、文祿元年、朝鮮の軍起る、義弘一萬人を率して、彼の國に押渡り、前後の軍、凡そ七年、中にも慶長三年十月朔…
- p003…、泗川の城の戰に、大明の多勢を打破り、異國本朝に名を顯はす、異朝の書に義弘を石曼子としるせるは、此兵庫入道が事なり、されば此時太閤薨し給…
- p003…城の戰に、大明の多勢を打破り、異國本朝に名を顯はす、異朝の書に義弘を石曼子としるせるは、此兵庫入道が事なり、されば此時太閤薨し給ひ、我朝の…
- p003…り、異國本朝に名を顯はす、異朝の書に義弘を石曼子としるせるは、此兵庫入道が事なり、されば此時太閤薨し給ひ、我朝の軍勢、難なく引て歸ること、如何…
- p003…朝の軍勢、難なく引て歸ること、如何にも叶ふべからずと、皆人危み思ひしに、義弘一戰の功に依て、軍全うして、事終りぬ、德川殿豐臣家の奉行と議せられ、其勳…
- p003…終りぬ、德川殿豐臣家の奉行と議せられ、其勳功の賞として、慶長四年正月九日義弘所領の地を加へ賜ひ、薩摩の內豐臣家御領の地、四万石を賜ふといふ、忠…
- p003…差し下され、主從が間を和げさせ給へば、源二郞降參しぬ、明れば、五年の秋、兵庫頭義弘、石田に組みし、美濃の國關が原に出向ひ東國の人々と軍し、義弘さん〱に戰な…
- p003…の秋、兵庫頭義弘、石田に組みし、美濃の國關が原に出向ひ東國の人々と軍し、義弘さん〱に戰なつて、既に討死せんとしけるに、猶子中務大輔豐久、入道を諫め、…
- p003…と軍し、義弘さん〱に戰なつて、既に討死せんとしけるに、猶子中務大輔豐久、入道を諫め、我身は取て返へし、時移るまで戰て討死す、一說に舍弟といふ、不審…
- p003…五年薩摩陣の時に軍終て後頓死せしと見えたり、豐久は家久が子なり、入道希有にして死を出て、德川殿の御陣に、郞等河上四郞兵衞忠允を參らせ、此度義…
- p003…道希有にして死を出て、德川殿の御陣に、郞等河上四郞兵衞忠允を參らせ、此度義弘思はずも、御敵と成て候こと年來の御芳志を忘れまゐらするに似たり、最これ入…
- p003…嶋左衞門大夫正則に就て訴へけるは、義久初より德川殿に、二心を存せず、舍弟兵庫入道が所行、甚以て奇怪の至なり、義弘本國に逃れ歸るといへども、既に對面を許さ…
- p003…久初より德川殿に、二心を存せず、舍弟兵庫入道が所行、甚以て奇怪の至なり、義弘本國に逃れ歸るといへども、既に對面を許さず、櫻嶋に押込め訖んぬ、御下知を…
- p003…進す、七月七日大御所、御致書をなされて、彼國を家久に賜ひ、將軍家、又義久義弘家久に御致書を賜て、其功を賞せらる、明れば十五年八月八日、家久、中山王を…
- p004…元和三年七月、家久參議になさる、同き五年七月廿一日、兵庫入道惟新卒す、八十五歲、慶長五年の後は籠り居たりしとなり、家久寛永三年八月…
伊東 第九下 · 5
- p010…日、四十歲にて卒してけり、島津家譜には二十四歲と云ふ元龜三年の夏、島津兵庫頭忠平、後に義弘日向の國に向ふ、伊東が軍勢、飯野の邊に出て迎ひて戰ひ、宗…
- p010…、島津家譜には二十四歲と云ふ元龜三年の夏、島津兵庫頭忠平、後に義弘日向の國に向ふ、伊東が軍勢、飯野の邊に出て迎ひて戰ひ、宗徒の兵五百餘騎…
- p010…道宗麟、數万騎を引率して、日向の國に向ひ、同十一月十二日、耳川の邊にて、島津兄弟と戰ひ、一戰に利を失ひ、散々になつて引返す、伊東も今は賴む方なくして、明…
- p012…向ふ、伊東累代の家人等、此所彼所より馳せ集りて、程なく軍勢數千人に及ぶ、島津兵庫頭義弘、負軍して、薩摩國へ引返す、關白の御勢も、筑前筑後を打隨へ、肥後國を經て…
- p012…御勢も、筑前筑後を打隨へ、肥後國を經て、是も薩摩の國に攻め入り給ふ程に、嶋津兄弟、終に降人になつて參る、關白伊東が軍功、拔群なりとて、頓て本領日向國飫肥…
薩摩守殿 第十一 · 10
- p003…る、時うつるまで戰はせ給ひ、さつと引て暫く御馬の足やすめらる、かゝる所に嶋津兵庫入道義弘負け軍して此所を落て行く、直政これを追かくる、守殿も續て馳せ給ふに、嶋津…
- p003…義弘負け軍して此所を落て行く、直政これを追かくる、守殿も續て馳せ給ふに、嶋津が郞等松井三郞兵衞尉と名のつて、守殿に馳せ向ひ、もつてひらきてうつ太刀を…
- p004…りせし所なり、いづれの記にも、初め井伊御供して福嶋が陣の脇より馳せ出で、嶋津が陣に切て入る、守殿松井を討たせ給ふ由を載す不審なり、井伊が手は浮田が先…
- p004…入る、守殿松井を討たせ給ふ由を載す不審なり、井伊が手は浮田が先陣と戰ふ、嶋津が陣は浮田が陣を隔てゝ、あなたの方關藤川を後にして、辰已に向ひ陣して、細…
- p004…川黑田等の人々と戰ひ、其後本多中書が爲に破られたり、井伊守殿の御供して、嶋津が陣に馳せ入て戰ひしにはあらず、兵庫入道が負け軍して落足の時に戰ひしなり…
- p004…爲に破られたり、井伊守殿の御供して、嶋津が陣に馳せ入て戰ひしにはあらず、兵庫入道が負け軍して落足の時に戰ひしなり、橫田小栗が物語も、また後に龍伯入道が參…
- p004…軍して落足の時に戰ひしなり、橫田小栗が物語も、また後に龍伯入道が參らせし兵庫入道が聞書も、是れに同し、〇又按ずるに、初め井伊が守殿の御供せし時は、則ち我…
- p004…かけしなるべし、いかで今日の大將軍の、しかもわづかの御勢なるを、よしなく嶋津が多勢の中に御供し、御手をおろさせ給ふ樣にはすべき、必なきの理なり、され…
- p004…の中に御供し、御手をおろさせ給ふ樣にはすべき、必なきの理なり、さればこそ嶋津がおちあしの時も、井伊は此殿の御供せし故に、追ふべしともせざりしを、郞等…
- p005…直政手負うて馬より落つ、嶋津も遙かに落ち延ひぬ、こゝより御陣に歸り給ひ、軍既に事終りて、德川殿の御陣…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히