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美濃加納城
본문 표기 美濃國加納の城・加納の城・加納城
大久保 第四中 · 1
- p011…に依て蟄居す、寛永二年御免を蒙て、始て出仕す、三年十二月叙爵し、同き九年美濃國加納の城を給ふ、五万石同十六年十一月播州明石の城に移る、七万石慶安二…
松平(戶田二連木) 第四下 · 1
- p007…孫四郞光重して、其跡を繼がせられ、叙爵して丹波守に任ず、同き十六年十一月美濃國加納の城に移る、七万石明曆二年大坂の城守るべき由を奉て、彼處に留り守る事万…
奧平 第六 · 6
- p007…の軍終て後、信昌京都の守護となり、當家所司代置れし初めなり六年二月美濃國加納の城を給て移る、此時十萬石を領す、岐阜の城を徙し築かる、當家天下を知召し…
- p007…驒守に任じ、同十四年攝津守になり、十五年七月將軍家の仰として、親父信昌の加納の城の邊にて所領の地加へられ、當國にて四萬石を給ふと云ふ、本領共に六萬石…
- p007…繼く、二男右京大夫家治には世嗣なし、三男攝津守忠政の男ありければ、其孫に加納の城をば給りけり、十萬石忠政の男をも忠七郞と申す、御諱字給て、忠隆と名…
- p007…を繼き、十四歲にて元服し、飛驒守に任ず、寛永二年五月廿七日祖母の加納殿、加納の城にてかくれ給ふ、御年六十六歲とぞ聞えける、同き九年正月五日、忠隆廿五歲に…
- p008…攝津守殿うせ玉ひしは御父信昌より先の事なれば、不審なり、但し信昌致仕して加納城を攝津守殿に讓りしにや、其事は正しき實記には見えず、…
- p012…、同十九年十月六日、京都の早馬、駿河に來て、大坂の兵起る由を申す、また美濃國加納の城よりも飛脚到來して、松平攝津守忠政去る二日に卒すと申ければ、舍弟なれば下…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히