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藤田信吉
본문 표기 信吉・重信・藤田・藤田能登守・藤田能登守信吉・入道・能登守・能登守信吉・能登守平信吉・彌六郞・彌六郞信吉・源心・能登入道源心・能登守重信
松平(能見) 第二 · 1
- p001…と云云、覺束なし、此丹後守にはあるべからず、夏目日記を見るに、和泉をば藤田能登守いけとりしなり、男子なくて小笠原兵部大輔秀政の三男に大御所の御外曾…
榊原 第四上 · 9
- p004…年夏、井伊掃部頭直孝、先陣を奉し、康勝二陣に定められ、ふる兵なればとて、藤田能登守信吉を康勝に副られたり、藤田の傳別にあり、五月六日直孝木村長門守と若江…
- p004…勝二陣に定められ、ふる兵なればとて、藤田能登守信吉を康勝に副られたり、藤田の傳別にあり、五月六日直孝木村長門守と若江にて戰ふ、康勝同しく戰はん…
- p004…別にあり、五月六日直孝木村長門守と若江にて戰ふ、康勝同しく戰はんとす、能登守制して、御方の多勢に向ひ、出むかつて軍する敵の、陣の張やうの薄きこそ、怪…
- p004…憤て、二陣に定れども、直孝と押並んて陣し、敵の多勢打破り、首七十八獻る、能登守信吉も、みづから手二か所まで負て、手の者に首きらせたり、兩御所康勝信吉めして…
- p004…能登守信吉も、みづから手二か所まで負て、手の者に首きらせたり、兩御所康勝信吉めして、御感の仰かうむる、かゝる所に同廿七日康勝風毒腫わづらひ出し、年三…
- p004…りて、井伊木村旣に戰を合はすと見て、康勝が手の者共、同しく進み戰んとす、藤田能登守信吉、康勝と共にこれを制す、信吉さる兵と承はる、いみじき謀やあるらんと存じけ…
- p004…勝が手の者共、同しく進み戰んとす、藤田能登守信吉、康勝と共にこれを制す、信吉さる兵と承はる、いみじき謀やあるらんと存じけるに、敵終に敗れしかば、軍に…
- p004…いまだ年わかし、强からん謀にこそ從ふべけれと存ぜしに、身の煩しき故にや、信吉と心を合せて、進み得ず、されば天王寺合戰には、隨一の郞從、伊藤忠兵衛眞先…
- p004…る身なればにや、家繼がすべき子とても侍らずと申す、大御所此由を聞召、頓て信吉めして御糺問あり、終に康勝が郞從等と訟へ起りて、自ら御裁斷にぞ及ひける、…
上杉 第八下 · 3
眞田 第九上 · 1
- p003…の軍勢都合六千五百人、上田の城に差遣す、又小笠原が河中嶋にや打出てんと、藤田能登守を大將にて、越後の勢千三百人、猿馬塲の此方に陣を取る、去程に德川殿の御勢…
藤田 第十二下 · 43
- p001…能登守平信吉は畠山庄司次郞重忠十六代の後胤也、元久二年六月重忠幷に嫡男重保父子討たれ…
- p001…る、重利永祿三年八月十三日に死す、重利に實子あり兄は用土彌八郞、弟は同く彌六郞といふ、氏康重利が所領悉く二人の男に賜てけり、兄は用土藤田及び相摸の内…
- p001…に賜はるこそ安からねとて、頓て重連に毒すゝめて殺しぬ、氏政重ねて重連が弟彌六郞信吉して、兄が跡を繼ぎて沼田の地を守らす、安房守重氏いよ〱安からぬ事に思ひ、…
- p001…ぎて沼田の地を守らす、安房守重氏いよ〱安からぬ事に思ひ、氏政氏直父子に、信吉が事さま〱に讒す、信吉重氏を深く恨て、明れば天正七年の春武田四郞勝賴に心…
- p001…安房守重氏いよ〱安からぬ事に思ひ、氏政氏直父子に、信吉が事さま〱に讒す、信吉重氏を深く恨て、明れば天正七年の春武田四郞勝賴に心を合せ、重氏が兵の沼田…
- p001…をば武田に參らせたり、勝賴大に悅て頓て沼田の城をば眞田安房守昌幸に賜る、信吉には沼田上中下の三箇庄は言ふに及はず、本領悉く賜ひ、合て五千七貫の地…
- p001…は沼田上中下の三箇庄は言ふに及はず、本領悉く賜ひ、合て五千七貫の地藤田能登守と召されて、上の沼田金剛院に舘を構て移り住む、天正十年の春武田滅ひ、信長…
- p001…を分つて守らせたり、此年六月信長父子も討たれ給ひ、瀧川上方に歸らんとす、藤田能登守信吉舊領なれば沼田の城賜はらんといふ、瀧川初め眞田が手より取りたる城なり、眞…
- p001…ふ、瀧川初め眞田が手より取りたる城なり、眞田にこそ返し渡さめとて許さず、信吉むかし北條に叛きし身なり、信長失せ給ひぬと聞えなば、定て氏政氏直當國に向…
- p001…の由聞もあへず、當國の味方引具し都合其勢二萬餘騎、鞭鐙を合せて馳せ來る、信吉案に相違して前後の敵と戰はん事叶ひ難く、六月十三日の夜に紛れて引返し、家…
- p001…の城の戰に、首八十六切つて參らす、景勝大に感し此年十二月長島の城を賜り、藤田が手の者二百五十騎、寄騎の侍五十人都合三百騎の大將に成れてけり、天正十二…
- p001…者二百五十騎、寄騎の侍五十人都合三百騎の大將に成れてけり、天正十二年の夏信吉佐渡國に押渡て、國人等を攻め從へ、常に景勝が先陣して國中の亂を平らけぬ、…
- p001…あり、從三位に叙し中納言に任す、家人直江山城守兼續、四位の侍從になされ、藤田能登守信吉等從四位下に叙す、明れば十八年北條滅び、文祿の初朝鮮の軍起り、本朝の大名…
- p001…に此所をさけ渡さるべしと云はせければ、忽に爭論起り同士軍せんとひしめく、藤田能登守信吉、上總介に繼きて押來り、此由を見るよりも兩陣の間にかけ隔て、德川殿の御家…
- p001…陣どらせ給ふべけれと云ひしにぞ立所に事は平ぎける、德川殿この由を聞召され藤田が許に御使大久保七郞右衛門尉永井右近大夫なり給て、家康が家人面目を…
- p001…久保七郞右衛門尉永井右近大夫なり給て、家康が家人面目を失はざりし事、信吉の計らひに依る所なりと仰せ下されけり、慶長二年の春景勝奧に移りし時、信吉…
- p001…信吉の計らひに依る所なりと仰せ下されけり、慶長二年の春景勝奧に移りし時、信吉大森の城を領す、同き三年八月太閤薨し給ひ、信吉御吊使として都に上り德川殿…
- p001…二年の春景勝奧に移りし時、信吉大森の城を領す、同き三年八月太閤薨し給ひ、信吉御吊使として都に上り德川殿に見參す、宮島にての事、仰せ出されて物多く給ふ…
- p001…石田治部少輔三成等と言合せたる旨あつて、東西に分れて一時に軍起さんとす、信吉是を强ちに諫めしに、直江兼續が爲に讒せられて誅せらるべしと聞ゆ、信吉大に…
- p001…す、信吉是を强ちに諫めしに、直江兼續が爲に讒せられて誅せらるべしと聞ゆ、信吉大に恨て、おのが家に二心あらざる由の起請文書て殘し置き、慶長五年三月十三…
- p001…て殘し置き、慶長五年三月十三日會津を去て都に登り、大德寺に籠り居て入道し源心とぞ號しける、かゝる所に景勝が軍起りぬと聞えて、追討の爲、德川殿大坂を御…
- p001…軍起りぬと聞えて、追討の爲、德川殿大坂を御立あつて伏見の城に入らせ給ひ、能登入道源心が許に御使あつて、阿部善九郞秋元越中守下野國那須の地を下し賜ひて…
- p001…國那須の地を下し賜ひて十万石東國の御道しるべ仕るべしと仰せ下さる、入道承りて抑も入道が上杉が家を立ち去りし事、如何にもして讒人の訴ふる所を申披…
- p001…し賜ひて十万石東國の御道しるべ仕るべしと仰せ下さる、入道承りて抑も入道が上杉が家を立ち去りし事、如何にもして讒人の訴ふる所を申披き、我二心なき…
- p001…に召されん事、望む所に侍らはずと辭し申す、重て本多佐渡守正信御使を承て、信吉誠に汝が主に二心なからんには、すべからく早く召に隨て御陣に參り、いかにも…
- p001…はとて見參し其謀を運らす、關が原の戰事終て後、景勝終に降人になつて參る、信吉頓て御暇給て上杉が家に歸らんとす、德川殿信吉を御前に召され、汝が主初に兵…
- p001…、景勝終に降人になつて參る、信吉頓て御暇給て上杉が家に歸らんとす、德川殿信吉を御前に召され、汝が主初に兵を擧て世を亂る、其罪なしといふべからず、され…
- p001…本領を返し賜らん日、汝が望には任せなん、先づ其程は關東に伺候すべしとて、信吉が夫婦に下野國西方の地を賜る、一万三千石其妻に假粧田二千石合て一万五…
- p001…下野國西方の地を賜る、一万三千石其妻に假粧田二千石合て一万五千石又信吉ながく御家人に侍らはんには、初め賜ひし所の那須の地領せん事、相違あるべか…
- p001…はんには、初め賜ひし所の那須の地領せん事、相違あるべからずと仰せ下さる、信吉猶上杉が家に歸らん事を望みしかば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、…
- p001…仰せ下さる、信吉猶上杉が家に歸らん事を望みしかば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、ありし事共御物語ありしにぞ、景勝も心解けられける、此上は汝が…
- p001…れぬ、景勝本領賜はらんまでは、此儘に候へとて關東に留められ、其名を改めて重信と召さる、…
- p003…常陸の佐竹、秋田の城に移されし時、能登守重信水戶の城を守る、佐竹が家人群馬丹波守、本國に落ち留り、佐竹和泉守と共に兵…
- p003…本國に落ち留り、佐竹和泉守と共に兵を起し、水戶の城を襲ひ取らんとせしに、重信謀を運らし群馬をやす〱と生捕て參らせしかば、頓て彼張本の輩五人をぞ誅せら…
- p003…父子二人水野監物忠元を御使として、毛利月毛といふ名馬に、小袖三十領添て重信にぞ賜りける、其後小田原の城を守り、又安房國の舘山の城を守る、かゝる所に…
- p003…を守り、又安房國の舘山の城を守る、かゝる所に大坂の軍起りしかば、御使給て重信を召さる、夜を日に繼て馳せ上り、大御所の先陣を承る、御前備の右は藤田能…
- p003…て重信を召さる、夜を日に繼て馳せ上り、大御所の先陣を承る、御前備の右は藤田能登守左は本多佐渡守中は立花左近將監なり明れば元和元年五月七日、重信榊原遠…
- p003…藤田能登守左は本多佐渡守中は立花左近將監なり明れば元和元年五月七日、重信榊原遠江守康勝と共に天王寺に向ひ戰つて、自らも高名し薄手二か所かふむり、…
- p003…等が訴ふるに依て、五月六日若江の合戰に榊原が手の軍勢、戰に逢はざる事は、重信が計からひに因る所なりと聞召され重信を召决せらる、此事榊原が傳に詳な…
- p003…に榊原が手の軍勢、戰に逢はざる事は、重信が計からひに因る所なりと聞召され重信を召决せらる、此事榊原が傳に詳なり重信陳し申す旨其謂れなきにあらず…
- p003…からひに因る所なりと聞召され重信を召决せらる、此事榊原が傳に詳なり重信陳し申す旨其謂れなきにあらず、重ねて御裁斷あるべしと仰せ下さる、重信創療…
- p003…り重信陳し申す旨其謂れなきにあらず、重ねて御裁斷あるべしと仰せ下さる、重信創療せんがため、御暇申て信濃國諏訪の温泉に浴みせんとて趣き、身のいたみ以…
- p003…いふ所にて、元和二年七月十四日五十九歲にて卒す、男子なければ家たえたり藤田が事夏目が記に見ねたり事長ければ其要を採つて爰にしるしぬ…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히