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○持資京に上りし時の事附かゝるときの歌の沙汰

卷之一 第14話 · 段落 2 · NDL 1078984 32コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

持資京に上りし時、慈照院殿義政饗應せんとなり。慈照院殿に一つの猿あり。見知らぬ人をば必ず搔き傷ふといふ事を持資聞きて、猿使に賂して猿を借り旅亭の庭に繫ぎ、出仕の裝束して側を過ぐるに、猿飛び懸るを鞭を以て思ふさまに敲き伏せたれば、後には猿首を垂れて恐れ居たり。持資猿使の人に禮謝して猿を返したり。斯くて饗應の日、かねて慈照院殿彼の猿を通るべき所に繫ぎ置きて、持資が狼狽するを見んと待たれけるに、彼猿持資を見ると等しく地に平伏す。持資衣紋引繕ひ打過ぎたりければ、唯人に非ず、と大に驚かれたるとなり。彼猿を繫ぎたる戶を猿戶といふ。其より猿戶と言ふ名は起れるとなり。
道灌は讒言によりて殺されたり。文明十八年七月二十六日なり。辭世の歌とて世に云傳ふる、かゝる時さこそ命の惜しからめかねてなき身と思ひしらずば松田が家の物語にも斯く錄したり。道灌の和歌の集に見えしは、戰士を悼みし詞にて、康正元年の冬藤澤の役に至り、敵も味方も入混り、三日を重ねて挑み爭ふ事に成りぬれ共、屋形の武威强うして北條憲定の主終に自腹して、餘兵己が志空しうなり、或は仇に當りて互に死するも侍りし時、藤澤の側の松原の叢にて鬪ふ男ありしに、味方中村治部少輔藤原重顯とて、京家の人の世に沈みて屋形に扶持せられて侍りしになん。敵の男は栗毛なる駒に乘りて、二つ引き輪上り龍の紋附けたる指し物なりけり。遠目ながら鎧嚴しく見えける。暫し鬪うて鎗を合せしに、目の前に敵の男突き止められ、軈て中村が手づから首を取りて、我陣に來りて斯々なんと談りけるに、未だ壯年にも足らぬ男の色白くして丈高かるべき心持して、鬢の邊り只ならず燒きしめつゝ哀も彌增し、仇ながら憎からぬ面影なり。中村重顯此心ばへの優しき歌一首物して手向にと勸めければ、其首に向ひて斯る時云々と見えたれば、松田物語竝に世に傳ふる所は誤なり。