永祿七年正月十六日、三河一向宗の黨と針崎にて終日の競合あり、中根喜藏と名乘りて一番鎗を合す。一揆の相手は渡邊半之丞なりしが、鎗を捨て刀を拔いて飛び込んだり。中根も刀を拔き互に手負ひ相引きにしける處に、鵜殿十郞三郞渡邊を目掛け追ひかけたるを、渡邊が父源五左衞門助け來て鵜殿を突伏せたるを、東照宮御覽じて御手づから鎗を提げ給ひ、鎗組みたまひて突伏せ給ふ。薄手なりしかば引き退くを見て、石川十郞左衞門、渡邊源五左衞門競ひ懸りて、東照宮に向ひ奉る。內藤甚市弓取り直し、源五左衞門が股を射貫きければ、半之丞父を搔き負ひて引き退き、夫より物別せり。內藤は渡邊が甥なりけれ共、御急難の時に當りける故、射倒したるとなり。