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○東照宮一向宗の黨と厚木坂にて御軍ありし事附蜂谷半之丞が事

卷之二 第15話 · 段落 2 · NDL 1078984 56コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

永祿六年十一月十五日、一向宗の黨と厚木坂にて軍ありし時、一揆より蜂谷半之丞、渡邊源藏、眞先に進み、味方には上村庄右衞門黑田半平鎗を合せ、渡邊黑田を突き倒したるより、味方競ひ掛りて追立つれば、蜂谷も渡邊も引き退きて細畷にかゝるを、水野藤十郞、蜂谷如何に遁すまじ、と詞をかくれば、蜂谷蹈み止まり莞爾と笑ひて、藤十郞如何でか我等に敵すべき、いざ參らん、とて鎗を地に突き立てて手に唾を吐きかけ、然らば、といふ。水野も蹈み止めて近づき得ず。蜂谷然ればこそ、とて又靜に引き退く。蜂谷が鎗は三間柄の中を少太くして、長吉が鍛ひたる刄なるが勝れて物を貫きけるといへり。東照宮御馬を乘出され、蜂谷奴返せ、と御詞を懸けらるれば、跡をも見ずして逃る。松平金助剩すまじと追詰むれば、蜂谷蹈み止まり、殿なればこそ逃げたれ、御身には引くまじい、と言うて取つて返し、金助を五六度も突き退けたりしが、蜂谷鎗を投突にして金助を突倒す。東照宮、蜂谷奴とて又御馬を乘著けさせ給へば、蜂谷引返し逃げ退きけるとぞ。
蜂谷其後は先だちて一向宗の黨を離れて降參し、夫より人々願ひ申して、終に一向宗の黨の者共罪を御赦有てけり。其後二連木の合戰に本多平八郞牧宗次郞鎗を合せけるに、蜂谷少し遲れたりしが、蜂谷早疾く鎗は合せたるに如何に、といふ者有りしを半之丞聞きて、他人鎗をしたらんに、我は切合ふまでよ、と言ひ捨てて、刀を提げて敵の中へ飛込んで二人薙ぎ伏せたるに、河井正德といふ者鐵炮を構へたる所に走り掛る。正德隱無き手練にて打ちたるに、痛手なりしに起き上りて其處をば引取りたれ共、蜂谷遂に死しけるとぞ。又此正德或時急しき場にて後殿しける時、後より其手負ひ討ち取れと呼る。之は正德生得跛なりし故、手負ひたると思ひて斯く言ひたるなり。其時蹈み止りて弓箭神に誓ひて手負にては無し。生得の跛ぞ、と言ひけるより、今川家に褒めて正德と言ひけるとなり。又蜂谷が痛手負ひたるを其老母の聞きて、如何に首尾の有りつるぞ、と問ふ。其樣是々なりと答ふれば、嬉しや士の戰場に出て、矢に當るは常の事なり。若し手負ひ樣の惡かりせば、死したりとも冥途に面目なかるべし、と言ひけるとぞ。戰國の時婦人の身も、弓箭取る家に生れたるは、志す所大に異るもの、想ひみつべき事なり。