天正三年信長美濃岩村の城を攻めて秋山伯耆晴近を生虜り、生乍逆磔といふ物にせられけり。此れは信長の姑遠山內藏助が妻にて、遠山は其の前岩村に在りけるを、秋山遠山の七家と稱せし人々と和平して謀り、元龜二年信長の加勢の士三十五騎を殺害し、城を奪ひ取りて內藏助が後室を己が妻としけり。遠山は是より前に病死し、其の嗣信長の男御坊丸を甲州へ送り遣り、岩村を居城とせしかば、信長怒り憎まるゝ事深くて斯くはせられしなり。秋山口惜くも謀られけるかな。我は信長と緣類の親あり。斯くせらるゝ事無念なり、とて齒を嚙み、信長の末を見よ、と罵りて、七八日許有りて死しけり。信長信州法華寺にて兵粮をつかはれける時、色々の小袖を著たる女房一人來り、懷より錦の袋に入れたる茶入を取り出し、是を信長に見せ賜はり候へ。見しりて御座しまさん、といふ。信長走り出て茶入をば石に當てて打ち碎き、刀を抽いて彼の女房を切り殺されけり。此れ秋山が妻にて信長の姑なり。