勝賴長篠敗北の後、
芦田常陸介信蕃二股の城を守る。
三河の軍
三月下旬より此を攻る。南方の山に
東照宮御陣を据られ、巽の方
鳥羽山東は、
安倉口の山北は、
三十原口の山西は、
和田島に向城を構へらる。
信蕃固く守りて
十一月に至る。城を渡し
甲州に引き入るべし、と
勝賴より再三下知せらるれども聞入れず。
勝賴自筆の書をもて下知せられしかば、
十二月下旬に人質を出し、
二十三日に城を渡さんと約せしが、雨降りければ簑笠にて見苦く候、とて
翌二十六日天晴れて後城を渡し、二股の川の邊にて人質を取換へ引きとれり。
信蕃小勢にて久しく守り、且城を渡す作法正しかりけるを御感ありて、後終に
德川家に仕へけり。