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○光秀反狀の事

卷之五 第18話 · 段落 1 · NDL 1078984 107コマ R

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光秀天正七年六月修驗者を遣して、丹波の守護波多野右衞門大夫秀治が許に、光秀が母を質に出し謀りければ、秀治其弟遠江守秀尙共に本目の城に來りけるを、酒宴して遇なし、兵を伏せ置て兄弟を始從者十一人を生虜安土に遣しけり。秀治は伏兵と散々に戰ひし時、傷を蒙り途中にて死す。信長秀尙以下を安土にて磔にせられたり。丹波に殘り居たる者共明智が母を磔にしたり。明智遂に赤井等を攻め從へ、丹波を信長より賜はりけり。又信長或時酒宴して、七盃入りの盃をもて光秀に强ひらるゝ。光秀思ひも寄らずと辭し申せば、信長脇指を抽き、此白刄を呑むべきか、酒を飮むべきか、と怒られしかば、酒飮みてけり。其後稻葉伊豫守家人を明智多くの祿を與へ呼び出せしを、稻葉求むれ共戾さず。信長戾せと下知せられしをも肯はず。信長怒つて明智が髮を捽み引き伏せて責めらるゝ。光秀、國を賜り候へ共、身の爲に致す事無く、士を養ふを第一とする由答へければ、信長怒り乍ら偖て止みけり。東照宮御上京の時、光秀に馳走の事を命ぜらる。種々饗禮の設しけるに、信長鷹野の時立寄り見て、肉の臭かりけるを、草鞋にて踏み散らされけり。光秀又新に用意しける處に、備中へ出陣せよ、と下知せられしかば、光秀忍び兼ねて叛きしと言へり。然れば信長の暴なる固より論を待たず。光秀土地を略せん爲に老母を質にして殺しぬる不孝を信長の賞せられたる。君臣共に惡逆の相合へる、終を令せざること理なり。