常山紀談本文データベース

目次 › 卷之六 › e149

○濺が嶽1合戰秀吉智謀の事

卷之六 第7話 · 段落 1 · NDL 1078984 119コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

  1. 誤植 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。
佐久間玄蕃盛政、柳瀨にて中川淸秀を討取りける時、秀吉長濱より一騎駈にて來られけり。濺が2嶽に到れば日暮れぬ。陣の相去る事二里許なり。盛政使を以て、早くも軍を寄せられ候。相待ちて候ほどに、夜明けなば矢合仕るべし、とぞ言送りける。秀吉聞きて、是より申さんに由々しくも承り候。明日潔く軍を遂げ候べし、とて使を返して後、吾に怠らせ夜討せんとの事ならん。遠き異國の張良は知らず、我を識るべき者日本に有りとは覺えず、とて野にも山にも篝を透間なく焚きて白日の如し。佐久間は敵人馬の行程を急ぎて疲れたる處へ、するりと押寄せ打破らんと思ひけるに、秀吉の謀に夜討の支度空しく成りにけり。
  1. 誤植 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。