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○水野勝成高名附行狀の事

卷之六 第15話 · 段落 1 · NDL 1078984 124コマ R

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長久手の軍に水野忠重の嫡子勝成は、目を病みて冑を著ず。鉢卷したりけるを、父見て、汝が冑は溺り壺にしたるか、と罵られしかば、父ながら餘りの詞かな、眞先駈けて首を取るか、吾首を敵に取るゝか、二つの中よ、と言ふ儘に、馬引き寄せて打乘り、諸鐙を當てて駈け出す。忠重、あれは如何に、とて太田重助といふ士をして呼び歸されけれども耳にも聞き入れず。又水野喜右衞門寄せ來り引き止めんとするを、勝成はたと睨んで、疊の上の諫は聞きも入るべし。只今大軍の中に駈け入り、功名せん時止れとて引き返す樣や有る、と言ひ捨てて、秀次の將白井備後守が陣に突いて懸り、冑首を取りて馳せ歸る。此日の一番首なり。勝成荒者にて人を物ともせず。忠重の心に忤ひ、虛無僧となりて國々を廻りて武者修行す。後に忠重死して東照宮勝成に三州苅屋を賜はり、日向守と稱して大坂の時、大和口の先陣として大功有りし人なり。勝成十萬石を賜ひて後愈士に下り身を賤くして、總て士に貴賤は無きものなり。主君となり從者となり、互に賴み合ひてこそ世は立つ習ひなれ。然れば、大事の時は身を捨てて忠義を爲す事ぞかし。汝等我をば親と思はれよ。我汝達を子と思はん、と常に士に言はれけり。年老て鷹野に出づる時、行步叶はず、蒲團に乘りて士に舁れ、士番所にては蒲團と共に下に居て、年寄ての鷹狩可笑かるべし。鳥捕らん爲に非ず。心有りての事なり、と度々言ひて打過ぎられけり。或時鷹狩の野にて昔勝成に仕へし士を見かけ、如何に懷しや。我方にて祿三百石なりしに、立ち去りて越前にて千石の祿と聞く。今爰に來られしは如何に、と問ふに彼士、仰の通祿は越前にて增し候へども、殿の下を勞り懇に遇し給ふ泥み、祿には換へ難く暇乞うて歸り候ひぬ、と申せば、勝成大に悅び、折にふれ思ひ出せしなり、とて卽日に祿を增し與へられけり。其の後勝成隱居して又鷹狩の時、彼士の家の門閉ぢたるを見て如何にと問はるゝに、美作守の心に背く事有りて暇を乞走りぬ、と答へしかば、彼者は越前の祿千石を捨てて、小祿の我家を慕ひて歸りし者なるに、如何に作州は思へるにや。斯くいふ勝成は若き時、心得過ちて武藏の金川根笹流の弟子となり、尺八一本携へて虛無僧となりて日本國を廻り、或時は堂塔に夜を明し、或時は野にも山にも日を暮し、樣樣に艱難に遭ひ人にも誹られしが、一言虛妄を言ふ事なく、不仁の振舞せざりし故にや、今福山十萬石を賜りぬ。然れども下の情を知る事はこれ虛無僧たりし故なり。返す〲も惜むべき士を失ひぬるよ。美作は下の事は知られぬぞかし。總て良き士は、主君又は頭の下知をも無理なる事は心服せず。假令少しの過有りとも、能き士は二度も三度も知らぬ體して、猶已難くば傍輩に諫めさせんものを。美作の政事歎かしきぞ、と泣かれけるとかや。